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2011.05.10 (Tue)

knight

お待たせしました。トトリのアトリエからトトリちゃんとミミちゃんのお話となります。
お話としてはミミEDの後をきっとこうだろうなあと自由に解釈して、少し突っ込んだ感じで書いていく予定です。
未プレイの方からするとおそらくネタバレを含むこともあると思いますので、読むに関しては自己責任でお願いします。
タイトルは『knight』となります。珍しくタイトルありです。
イントロ、前編、後編で更新する予定ですのでよろしくお願いします。


イントロパート更新しました。(5/10)
字数的には3000そこそことなっておりまして、一息で読める程度のものかと思います。
この時点ではほとんどEDのなぞりだけとなっています。
今後は2週間に1度くらいのいつものペースで前編、後編を書いていく予定です。

前編パート更新しました。(5/20)
『どうしてこのようになったのか』からが該当パートとなります。既読部をすっ飛ばしたい方はCtrl+Fと併せてご活用下さい。
字数的にはイントロパートに対し14000字程の加筆となっております。読書時間の参考にご活用ください。

後編パート更新しました。(6/11)
『「え、ロロナ先生、来てたの?』からが該当パートとなります。既読部をすっ飛ばしたい方はCtrl+Fと併せてご活用下さい。
字数的にはイントロパートに対し24000字程の加筆となっております。読書時間の参考にご活用ください。


では長々と失礼をしました。続きから本編となっております。
ネタバレにご注意を。どうぞごゆるりとお楽しみ頂ければと思います。

【More・・・】






 日も落ち切っては周囲の景色もとっぷりと黒に浸かった夜半、私は逸る心を抑えることも敵わずに彼女のアトリエへと足を向けていた。
 今日は、特別な日なのだ。
 私たちが今までと変わらぬ私たちでいられるかどうか、あるいは今までの頑張りが公に認められるのかどうか、それらが確固たる証で以て定められるという大切な一日。
 私は、条件を満たすことが出来た。今後は期限に迫られては焦ってあちらこちらを奔走する必要もなく、晴れて生涯を冒険者として送るための無期限の免許を手にすることが叶ったのだ。これは大変な自由であり、私が己に課した為すべきことというやつをこなすためには必要不可欠な過程である。
 まあ結果に関しては当然といえば当然のことだが、やはり実際に可を下されることによってようやっと落ち着きのようなものが定着してくるのも事実で――とか何とか。いや、今は過ぎてしまった自分事は置いておこう。問題なのは彼女のことだ。だからこそこうやって疲れた身体に鞭を打ってまで、わざわざこの私が足労までをもこなしているのだ。
 トトリ。
 身内贔屓な評価を省き、むしろ一層に厳しい視点で評したとしても。それでも実際のところ、彼女の昇格に関して問題はないだろうと思っている。
 トトリの頑張りようはこの私が誰よりも近い場所で見てきたことを自負しているし、その決意が並々ならぬ強さでして固められており、またそれに行動や結果が伴っていたことも理解している。あれで駄目なら他の人も皆駄目になること違いなく、それは私にしても例外ではない。
 そう、本当に頑張ってやっていたのだ、あの子は。
 だからこそ、彼女の合否については気になって気になって仕方がない。もしかしたら自身がいい渡されたその時以上に、緊張をしているかもしれない。
 どうにもトトリはドジだから、もしかしたら今日という日の約束を忘れてしまってはいつものように釜をぐるぐると掻き混ぜているかもしれないだとか、お腹を壊して動けなくなってしまっているだとか、ほいほいとまた訳の分からない場所に材料の採集に出てしまっているかもしれないとか、ああもう考え出すとあれもこれもと不安な要素が次々と湧いて出て来ては収まりがつかなくなってしまう。一刻も早く、このもどかしさは本人に解消してもらう他にない。
 足並みも一層力強く歩を進める私は、それもやがて終点だ。もう何度通い詰めたことだろうか、先に広がる大海原を一望出来る丘の果てに在る彼女の元まではもう目と鼻の先となっていた。
 果たして私が辿り着いた時、偶然にも彼女は扉の前に当て所もなく佇んでいた。面倒がなくて助かった。未だに扉をノックして彼女の名前を呼び上げるのはどうにも照れ臭いものがあるんだ。
「トトリ!」
 声の先に私がいたことを認めた彼女は、ああもうそんなに嬉しそうにして。この分ならばやはり大丈夫なのだろうけれども、それでもしっかりと確認はしなくてはならないだろう。
「やっぱり帰ってきてたわね」
「ミミちゃん、どうしたの?」
 どうしたもこうしたもあったものか。流石に今日くらいは私も変に回り道をすることもない。単刀直入に訊ねることとする。
「うん、ばっちりだよ。ほら」
 そうやって掲げられるのは期限が無期限へと延長された私とお揃いの免許であり、やはり形で以てしっかりと認めるというのは大切なことだ。ここに至って、ようやっと私は心の底からの安堵というやつに浸ることが出来た。いや、もう、ほんと、何だ。本当によかった。それに尽きる。
 とまれ、こうなってしまってはいつも通りだ。私を心配させた罰といわんばかりに彼女をからかっては、それも一頻りを堪能したらばいよいよ本題を繰り出す。
「ねえ、次はいつ出発しようかしら? 一刻も早く私の名を、世界中に知らしめてやらないとね」
「あー、それなんだけど……ちょっとゆっくりしてからじゃダメ?」
「何のん気なこといってんのよ。こうしている間にも誰かに、先を越されているかもしれないのよ」
 それは分かってるんだけど……、と語尾を濁すトトリはしかし一体どうしたのだろうか。
 私は彼女と二人で旅に出ることが楽しみで仕方がなく、ああもうこの際だから認めるが、実際のところ富や名声などそんなものなどどうでもいいのだ。とにかく一刻も早く彼女と出立をしたくて仕方がない。
 今まで見たことのないような景色や知識を二人で一緒に探しに出るんだ。それは、きっと素敵な道程になること間違いがない。
 我ながら子供のように逸ってしまっている気にしかしトトリが返すのは、
「そしたら、おねえちゃん寂しがるし……」
「む……」
 気まずそうに零す彼女がいうことはしかし、まさしくその通りであって、そうなのだ。私たちには、私たちをとても良くしてくれるツェツィ――お姉さんがいたのだ。
 そうでなくてもトトリのお母さんを探すという名目で家を飛び出し世界中を旅した昨今、ほとんど家に帰らない私たちに対して彼女が感じたであろう寂寞や心労たるや察するに余りあり、これに関しては私も強弁を貫くことは敵わない。
「そういう理由なら、少しくらいは……」
 本当は今すぐにでも行動を開始したいくらいなのだけれども、ツェツィさんを悲しませるのは本意ではない。
 暫くゆっくり、というトトリはどれくらいの期間をそうするのだろうか。一先ず出直しては改めてその時に訪問する約束を取り付けようか、そう思って提案をしようとしていたらばしかし、先に口を開かれてしまった。
「そうだ、ミミちゃんも中入ってよ。今おねえちゃんが、お祝いにごちそう作ってくれてるから」
「え……? わ、私はいいわよ。家族水入らず邪魔しちゃ悪いし、それに……」
 咄嗟にそう返すものだが、明確な二の句を継げない私をいいからいいから、と遮ってはがっちりと手を取って。ああもう、こうなってしまってはもはや引くことなど敵わない。誰に似たのだろうか、こういうところは無駄に強引なのだ、この子は。
「おねえちゃん、ミミちゃん来てくれたよー!」
「だ、だから……もう、仕方ないわね」
 扉を開いた向こう側にはトトリの元気な掛け声に応じるツェツィさんが、それはもうとても嬉しそうな声色でしてこちらに応じる。
 彼女はやはり、寂しかったのだろう。裏も表もない満面の笑顔を向けられてしまった私にその純粋な好意を反故にすることなど出来よう訳もなく、また、これも勘違いではないと思う。今までもこのアトリエを訪れる度にツェツィさんにはご飯をご馳走になったり、お茶を戴いたりとお世話になったものだが、きっと彼女は、妹がもう一人増えたような感覚で嬉しいのだろうと思う。
 私に注がれる視線というものは彼女がトトリに送るようなそれに極めて近く、加えて姉妹や母性に触れるなどといった類の温かさとは長く無縁の環境で育った私にとって、その感触は決して嫌なものではない。
 生半可なものはお断りをするようなところだが、何しろトトリと一緒で、そのトトリの自慢のお姉さんなのだ。綺麗で、とびっきり優しくて。
 つまり何、まあその、私に嫌がる理由なんてないじゃないってことだ。居心地がいいんだ。
 まあ、今日だけは特別だしと。中に通された私はそう自分を納得させながらツェツィさんのご馳走を振舞って頂き、いつもよりも若干控え目にトトリをからかい、そうして影の薄いお父さんがたまに発言をするその度に心臓を跳ねさせる。
 温かい、と。素直にそう感じた。


 どうしてこのようになったのか、至るまでの次第が自分でもはっきりと記憶に残っていないのだけれども、気付くと私は冒険に出るまでのその日をトトリのアトリエで、ヘルモルト一家と共に過ごすこととなっていた。
 確かこう、トトリが思い付きでそんなことをいい出してはツェツィさんがノリにノって賛成を推し、お父様もお父様でよく考えているのか、あるいは放任主義なのか分からないようないつもの調子でのんびりと許可を出すもので、いつからそこにいたのだと、そうやって私がびっくりしている間にもとんとん拍子で事が固まっていったような気がするのだが、さて。
 慣れのない感触の毛布をどかして、私は身体を起こす。
 身を預けているのはいつものように適当な宿のベッドではなく、アトリエのソファであって、着ている服も普段のマントではない。ツェツィさんに用意してもらった、ややサイズ感の合わないぶかぶかの寝間着だ。
 これはどうしたんだっけと寝起きの頭に先日の記憶を辿らせると、そうだ、トトリのやつでは微妙に小さくて入らないしと、ツェツィさんが昔に使っていたやつを拝借したんだった。指先は第一関節の辺りまでをすっぽりと覆ってしまうこの衣装を見に纏っていると、どうにも姉妹的な感じがしては朝から照れ臭くなってしまう。何せ私にしては今までなかったようなことなんだ、仕方がない。
 ともあれソファに腰掛け、一頻り起床直後の倦怠感を堪能したのちに、やがて私は近くに添えられた内履きに足を通しては起立、腕を大きく上に伸ばして背伸び。そのままの流れで大きく深呼吸をしては灰色掛かった神経細胞に新鮮な空気を送り込んでやる。ここに来てようやく意識が覚醒に至ってきたような気分だ。
 トトリは――そう思っては部屋隅に配されたベッドへと視線を巡らせると、こんもりとした毛布が規則正しいリズムで上下に揺れていて。つまりはそういうことなのだろう。この家における勝手というやつが今一つ掴み切れない私としては強制を行うつもりはない。立ち上がった足をそのままに、私は部屋の一角にある窓際へと向けては鍵を開き、音を立てないようにと静かに開け放つ。
 丘の上に建っているものだから、窓を開けたらそこから海が一望出来るだとか、あるいは下に広がる町並みを広く眺めることが出来るだとか、私としてはそのような景趣を期待していたのだけれどもしかし、ここがこのアトリエの欠点の一つだと感じる。目の前に広がるのはすぐそこで途切れる地面と、それに遮られた申し訳程度の空と海なのであって、立地の条件がいいだけに何とも勿体ないような気分にさせられてしまうのだ。
 まあ、これも今となってはもう昔だ。私はそれらのいずれも叶わないことを随分と前にこの場で確認しており、今更落胆するようなことでもない。微かに漂ってくる潮の香りと海鳥たちとの鳴き声で以て帳消しをすることとしている。
 実際のところ、慣れればこれはこれで悪くない。当て所もなく窓際へと肘を預けた私は、立て肘にて顎を支えてはぼんやりと外の風景を眺めることとした。
 暫時、といえども朝の時間間隔はどうにも希薄だ。特段に何をするでもなくぼんやりとしながら雲の形とその行き先を追っていたらば、やがて控え目な音でリビングとアトリエを繋ぐ扉でノックがなされ、図らずとも私は現実の方へと引き戻される。
 部屋の主は未だに起きる気配がなく、こうなっては私が応じる他にないだろう。はい、と一つ返事をしたらばそれを認めたであろうツェツィさんが一拍ののちに入室してきた。
「おはよう。ミミちゃんは早いわね」
「おはようございます」
 そうでもないですよ、と一言を控え目に添える私に対して苦笑を返すツェツィさんは、いかにも仕方がないといった様子でトトリのベッドを指差すものだから、なるほど、と私までしてその苦笑いが伝播してしまう。
「ほら、トトリちゃん。起きなさい。ミミちゃんはもうとっくにお目覚めよ」
「う、うーん……もうちょっとだけ……」
 今朝の不毛なやり取りはツェツィさんの方に任せるとして、なるほどしかしこれくらいのタイミングで起床を果たせばいいのかなと目星は付いたものだ。無情にも聞き分けのないトトリの毛布を引っ剥がすツェツィさんを眺めながら、可能な限りの仕事は引き受けたいものだ。明日は私がこの役を担うこととしよう。
 そうしてツェツィさんがベッドに取り掛かっているその間にも、開けたものは閉めるのが道理だ。私が窓の閉塞と施錠とを確認している内にも、ようやっと我侭なお姫様はお目覚めのようだった。
「もぅ、おねえちゃんったら強引なんだから……」
「いつまでもだらだらと横になってるトトリちゃんが悪いのよ。少しはミミちゃんを見習いなさい」
 ふぇ、とか間抜けな声を上げながらこちらを見遣るトトリはさも意外そうな顔付きで暫しこちらを眺めた挙句、「あれ、何でミミちゃんが……」から始まり、それでもやがて合点がいったのだろう、一人首肯しては改めて笑顔を繕い口を開く。
「おはよ、ミミちゃん」
「おはよう。トトリったら、家の中じゃ結構だらしないのね」
「あ、や、そうじゃないんだよ? 今日はちょっと気が抜けちゃってたから特別で、いつもはもっとこう、すぐにしゃきっと起きるんだけど」
「ほんとかしら? いつもいつも私が起こしに来るまで目を覚ませない甘えんぼさんはどこの誰だったかなあ?」
「あー、もう、おねえちゃんってば!」
 なけなしの尊厳をも手折られたトトリは不満気な様子を隠すこともなく喰って掛かるが、対するツェツィさんは、これが大人の余裕というやつなのだろうか。そんな威勢にもどこ吹く風だ。
「もうちょっとで朝御飯が出来るからミミちゃんと一緒に顔を洗っておいでなさいね。ミミちゃんはやり方が分からないだろうから、トトリちゃんがちゃんと教えてあげるのよ」
 反論を挟む余地など与えることもなく颯爽とキッチンへ戻るツェツィさんの背を見送っては大きな溜息を一つ落としたトトリは、不平のやり場を失ってしまったのだろう。いかにも納得のいかない様子でぽつぽつと語り出す。
「もう、せっかくミミちゃんが来てくれてるんだから。もうちょっと気を遣ってもいいのに、おねえちゃんったら……」
 これに始まり、どうにも論点のズレた発言を展開するトトリであるのだが、今までもたまに遊びに来てはそう感じていたのだけれども、ツェツィさんにはやはり頭が上がらないのだなあとつくづく実感する思いだ。それもまあ要領の良し悪しからして仕方のない関係だと感じるが。
「まあ、トトリはいつもこんなもんでしょ。問題ないわよ、私は理解しているから」
「あーもう、ミミちゃんまで! うぅ……そうやって皆で私をいじめるんだ」
 いよいよを以て悄気込むトトリに対して、しかしまあこんな様子を見せられてはどちらかというとツェツィさん側に近い感覚の私なのだ。斯様に振舞うその心境に関しては大いに理解出来るもので、長年培って来たであろうその調子に私も乗せてもらうこととする。
「まあ、それはいいから早く顔を洗いに行きましょう。ツェツィさんを待たせてはいけないわ。案内をしてくれるかしら、トトリ?」
 提案をする私に対してもやはり白黒はっきりしない様子のトトリであったが、それでもこの場における不利については悟ったのであろうと思う。仕方がなさそうな雰囲気を漂わせながらも嘆息を一つ吐いてはベッドの縁より立ち上がる。
「お外の井戸で水を汲んで、それを使うの。今日の料理でおねえちゃんが使う分もあると思うから、それも一緒に用意しちゃお」
「分かったわ」
 井戸の場所ならば分かる。トトリが錬金術を行う時、特に中和剤などを作成する時にはよく利用するもので、汲み上げを度々手伝わされていたためだ。
 先導し、部屋の隅にまとめて置かれた小さめの樽を手にするトトリを認めたのちに、私はアトリエから外に通じる扉を静かに開いてやる。
「たーる! たーる!」
 しかし一体何がそこまで楽しいのかは分からないが、樽を目の前にしたトトリはいつもこのように不思議な呪文を唱え始めるのだ。そういえばロロナさんにしてもうにを見つけたり使ったりする時には平素とはまた一味違った気合でして掛け声を上げていたような気がする。
 果たして錬金術師にとってうにや樽というのは何か特別な意味合いを含む存在であるのだろうか。それを見つけては崇め、奉り、呼称を繰り返さなくてはいけない流派であるだとか何とか、いやはや全く空想が止まらない。どうにも馬鹿らしい疑問だとは思うものだが、今度、トトリが何か調合を行う時にでも聞いてみることとしよう。
 他方は捨て置き、トトリが自身にて作詞・作曲・アレンジを手掛けた不思議なたるの歌を歌い上げている内にもいよいよ私たちは目的地に到着だ。気付けば寝起きの機嫌も直っているようだし、これはまた幸いに思う。
 そうして早速据え付けられたロープに取り掛かろうとするトトリに対し、私もそこまで強いという訳でもないのだが、それでも輪を掛けて非力な彼女よりは冒険者として全うな筋力を有していると自負している。ツェツィさんが家の中から見ているかも知れないし、ここは私にやらせてもらうこととする。
「え、大丈夫だよ? ミミちゃんは待っててくれれば」
「いいから。私は今、この晴れやかに澄んだ朝空の下で爽やかな労役に服したい気分なのよ」
 ちなみに、今までも何度かこの手伝いはやったことがある。いつだったろうか、ゲラルドさんから請け負った依頼の都合で大量の中和剤が一度に必要になったことがあった。
 その時に何度も汲み上げをしては己の限度も弁えず酷使をしすぎたせいで、両腕をすっかりと脱力させてしまったトトリが、「ミミちゃーん、助けてえ」とか、アトリエで読書をしていた私に助けて求めに来たりして。
 あの時は大変だったなあ。途轍もない量で、私にしても最後の辺りはキツくて仕方がなかったものだが、トトリの手前、この私が弱音を吐くことなど許されたものではないし、何より一度始めたことを途中で投げ出すという事実こそが私のプライドに障ったのだ。気付けば引くに引けなくなってしまっていて。
 結局、意地で全てをやり終える頃にはトトリとお揃いのような状態となってしまったその時であって、それでも毅然としては強がっていたものだ。今思うと誠以て懐かしい自分である。
 まあ、思い出は思い出だ。それってどんな気分なんだろ、とか曰うトトリから強引にポジションを奪取しては、今となってはすっかり慣れてしまった手順に取り掛かる。
 仮にも貴族である私がこのような仕事をするなどどうかとも思うものだけれども、とりわけ何というのだろうか、そんな些事を気にせぬ寛容な心意気こそが貴族的なそれであるのだろうと、最近の私は考えるのだ。
 私がこなすことでツェツィさんが、そして何よりトトリが喜んでくれる。その結果に悪いことなんて非ず、善悪という二極からシンプルに断ずるのであればどちらかというといいことになるのだ。私にしてもさしたる労力ではない、それを為すだけで得を感じる人がいる。素晴らしい相互勝利の関係じゃないか。
 隣から掛けられるトトリの他愛のない話に相槌を打ちながらも汲んで、移して、下ろして。汲んで、移して、下ろして。幾度目かの作業を終え、彼女から満足の旨と謝辞を頂いてはいよいよ完了だ。その笑顔を見られただけでもやった甲斐があるというものである。や、まあ、決してこれを口にすることはないのだけれども。
 ともあれ樽を再びトトリに預けて先導を任せる。再び不思議なたるの歌を垂れ流す彼女は、しかし水で満たされた結構な重さの樽を底面の縁を使いながら器用に搬送していくのだ。今見てもどこか曲芸めいた手際は、トトリにしたらば生活の知恵みたいなもんだよ、とそういう程度のものらしいがしかしまあ大したものだ。この私が心から感心する数少ない知見の内の一つである。
 やがて手洗い場まで運んでは二人で代り番こに顔を洗って、揃ってキッチンに向かう頃には丁度いい塩梅であったらしい。今まさにメニューをテーブルの上に並べているツェツィさんの姿があり、部屋中には食欲を誘う芳香が満たされている。反射的に唾液が分泌されてしまう私は卑しくも何ともなく、しかしこれは人間的に正常な反応であると思うのだ。
「二人ともちゃんとやってきたわね。丁度出来たところだから、さ、掛けて楽にしてちょうだい」
「ありがとうございます」
 その言葉に従って着席する私の目の前に置かれたものは、ご飯に焼き魚、とりどりな野菜を用いたサラダにかぼちゃのスープ。見目麗しく味にしても非の打ちどころのないツェツィさんの手際にはいつもながら惚れ惚れとさせられてしまう。トトリは、どれくらいの時間をアトリエに留まるつもりなのだろうか。もし結構なスパンでそうするのであれば、是非ともその間に少しでも調理のやり方というやつを教示頂きたいものである。
「食器は全部渡ってあるわよね。よし。じゃあ、冷める前に頂きましょう。いただきます」
「いただきます」
「いただきまーす!」
 三人で元気に復唱をして。ああ、それにしても、一人じゃない朝の食卓というのはこんなにもいいものなんだ。
 トトリと一緒に冒険に行っている時にはその限りではないが、今までの私と来たら大抵の食事は一人で、それも顔も名前も知らないような人が仕事として運んでくるという非常に無機質なものであった。
 あるいはそれも美味であったのかもしれない。どこかの街でも有数の腕利きであるらしいシェフが数年の試行錯誤の末に完成へと漕ぎ着けた自慢のメニューだとか、私にとってはどうでもいい説明を食事の前に謳われては、そういう類の品を何度も食べてきた気がする。
 しかし味を思い出してみろといわれてもこれが漠然としてしまって定かではないのだ。舌に障るような記憶が薄いということはつまり、少なくとも不味くはなかったとは思うのだけれども、逆をいうなればこれはすごい、また是非とも食べに来たいといえる程のものも印象に残っていないのだ。可もなく不可もなく、まさしくそれを体現したかのような度合を過ぎない。
 対してヘルモルト家の食卓。私にとっては何から何までが魅力に溢れる、素敵という言葉は真にこういうことを指すのであろう。今日はツェツィさんが私たちのためにただ一人で頑張って作ってくれたものだけれども、夕飯からは私もお手伝いをしようと思う。
 一緒に食卓で並んで肩を揃えて、もしかしたらトトリも手伝ってくれるかもしれない。そうしたら三人で色々な話をしながら皆で食べるためのご飯を作るんだ。トトリとも、ツェツィさんとも、話したいことはそれこそ山のようにある。冒険で遭遇した色々な不思議だとか経験から、それこそ小さなことだと料理の味付けに対する好みまで。
 あとは、そう、彼女らにしては既に振り切っているのであろうか、家族についての話もしてみたいと私は前々から思っていたのだ。こういういい方をしてしまっては自分でもどうかと思うのだけれども、私たち三人に共通している事柄としてまず挙げられるのは母親が既にこの世にいないという、その点に尽きると思う。
 更にいうならば私はトトリやツェツィさんと違って姉妹や兄弟というものがおらず、これも今だからこそはっきりといえる。そういう寂しさを紛らわす側面もあり、貴族の名と誇りへと拘り続けて私は生きてきた――それが当然のことだと疑いもせず、自らの本心を偽り押し殺しながらに、だ。
 貴族たらしい貴族であるべきと振舞うこれまでの私の歩みを全否定することはないが、やはりどこかやり方を間違えていたと、今だからこそ省みることが出来る点も多々ある。振り返ってみるとそれは常にどこかが虚構的で、私を心から満たしてくれることなど決してありはしなかったのだから。
 だからこそだ。そんな私からすると彼女ら姉妹というものは本当に温かく、幸せに溢れており、これこそが私が誠に欲しているそれなのだと理屈を抜きに感じさせられてしまう。
 名や富というものは、確かにあるに越したことはない。少なくとも私が尊敬する母がその生を全うする間際まで絶えず誇りに思っていた貴族という重みを、私は決して蔑ろにはしない。
 それでもこれからの私は、私という人格を少しずつでもいいから変えていかなくてはと思っている。
 ああ、いっそこの際だからはっきりと分かりやすくいってしまおう。私は、トトリやツェツィさんと一緒に姉妹のような関係でありたい。いつだってお互いがお互いに対して本気であって、共に喜び、悲しみ、励まし合う。そういう仲になりたいんだ。
 それはどれ程に素晴らしいことだろうか。拠りどころなど要らないと、何もかもを一人でやれるようにと自らを律しながらに生きてきた私ではあるが、どうか今更だといわないでほしい。そうやって意固地でいた私の観念をやんわりと打ち砕くような魅力が今この目の前には広がっており、この期に及んでこれに対して抗おうなどという気は一切起きないのだ。
「ミミちゃん、お味の方はどう? 舌に合うかしら」
 見ているこちらまでが釣られてしまいそうな満面の笑みに、逆を気取ることなんてない。勇気を出して、私はちょっとずつ頑張っていくのだ。
「はい、美味しいです。あと、その……もしよければ夕食の準備の時には一言お声掛けください。私も一緒にお手伝いをしたいです」
「え、でもそんな悪いわよ。長旅でお疲れでしょう? トトリちゃんと一緒にゆっくりしていてもらえれば」
「いえ、私がやりたいんです。ご迷惑じゃなければ、料理のやり方とかも教わりたいなって。ダメでしょうか?」
「ダメだなんてそんな。そういうことならお願いしちゃおうかしら」
「ありがとうございます」
「あ、じゃあ私もお手伝いするよ。夕飯は三人で一緒に作ろうね、ミミちゃん!」
「あ、う、うん……」
 いつもながらの無邪気をトトリから向けられた私は、いやしかしこういう点では本当に敵わない。らしくないだとかそういうことは思わないのだろうか。こちとらさっきから慣れないことしているという自覚からか、羞恥の念が湧いては止まないのだが。
「あ、ところで二人共、暫くはこっちにいるのよね?」
「そのつもりだけど?」
 ツェツィさんの問いに対して私を一瞥しながらに応じるトトリ。落ち着かないまま、目線でのみ可を下したものだがどうやら通じたようであって幸いだった。
「今のも十分に可愛いと思うけれども、いつも同じような服装ばかりっていうのも何でしょう? どうせ止めたって近い内にまた冒険に出ちゃうんだろうし、その間に二人の新しい服を作ってあげるわよ」
「わ、ほんと!?」
 その提案に諸手を挙げて喜ぶトトリは、前に聞いた話によるとここ最近よく着ている錬金術師用の衣装はロロナさんから頂いたものらしいが、それまでの衣服は幼い頃からツェツィさんが自作してくれたものであったらしい。
「やったね、ミミちゃん。おねえちゃんの作ってくれる服ってすごく可愛いんだよ」
「嬉しいんですが、いいのでしょうか。何か先日から頂いてばっかりで」
 トトリはまあ実際に姉妹だからいいのかもしれないが、あくまで他人である私からしたらまさしく畏れ多いというやつである。遠慮がちというなかれ、これが一般的な反応であろう。
「そんなに畏まらないで頂戴。私が好きでやるようなもんなんだから。きっと二人に似合う服を作ってあげるから、楽しみにしていてね」
 あとでサイズを測らせてね、と告げては私たちよりも一足先に先に食べ終えたツェツィさんは自らの食器を重ねながら、私たちの分にしても空いたものを一遍にまとめてはキッチンの方へと運び、それらを水に浸す。
「今、お茶を淹れてあげるわね。ゆっくり食べていて大丈夫よ」
 ツェツィさんの言葉にありがと、と一言応じるトトリであるがしかしまあ何とも王様的な待遇なのだろうか。あるいはトトリがドジなのはこうして何もかもをツェツィさんがやっつけてしまって、本来注意力を傾けなくてはならないような仕事についてまでをもこなさず、そうやって育ってきてしまったからであるのかもしれない。
 どうにも大物らしく振舞うトトリとは真逆に落ち着きのない私ではあるのだが、まあ懸念を抱いたとて今この場がどうこうなるというものでもないのだが。
 二人で取るに足らない話題を応酬している内にもやがてツェツィさんが三人分のカップを用意してくれる。湯気の上がる熱々の陶器からは茶葉の香りが立ち上り、しかし相変わらず良い仕事である。
 間もなく皿に乗った食材たちを綺麗に食べ終えて優雅に食後のティータイムと洒落込む私たちは、ツェツィさんに本日の予定を訊ねられては現状では特段何もない旨を返し、それから暫くを今日という一日の使い方について確認し合った。
 最中、立て肘にて顔を傾けるツェツィさんが妙に嬉しそうに溜息を漏らすものだから、やはり私と同じくトトリも気になったのであろう、訊ねてみると、
「いやね、何かこういうことが久々だなあって思ったの。トトリちゃんったらずぅっと冒険、冒険で長いこと家に帰らない日が多かったでしょ? たまに帰って来たと思ったらアトリエに篭もりっきりで釜を掻き混ぜてるし。こういう普通の日っていうのが私からするとすごく懐かしいものなのよ」
「あ、う……それはね? 悪かったと思ってるよ? だから私もミミちゃんも暫くはこうしてようって」
 やや嫌味たらしく述べるツェツィさんに対し、トトリはたじたじに応じる他ないのであろう。
「分かってるわよ。トトリもそうやって段々と大きくなって、ずっとこうやって家にいるっていうのが当たり前じゃなくなっていくって……小さい頃からきっとそういう日も来るんだって私も思ってはいたんだから。まあ、思った以上にそうなるのが早かったことには正直びっくりしているんだけどね。まあ、短い間だろうけれども、たまには寂しがり屋なお姉ちゃんにこうやってお姉ちゃんらしい何かをさせなさいってことよ」
「うん……」
 そうして暫し粛々とお茶を嗜んだ私たちはやがて器を空にし、食卓を辞すこととする。お昼時まではトトリと一緒にアトリエの中の整理をすることとしているのだ。
 今日はお掃除をして、お昼ご飯をご馳走になって、そうしたらツェツィさんと一緒に色々なことをしよう。料理を作ったり、あるいは先程約束した採寸などもある。どんな服が出来上がるのかと想いを馳せながら他愛のない話に花を咲かせるのだ。
 私に出来ることと来たら所詮その程度のものであるが、それでもあんな話を聞いてしまった手前、知らぬ存ぜぬを決め込める程に不義理な性根は持っていない。せめてここにいる間だけでも、可能な限りにツェツィさんの妹であるよう振舞っていこうと思う。
 ――だってそうだ。誰だって一人は寂しい、のだから。


 私がトトリのアトリエに留まるようになってから早数日が経過し、まあ元から頻繁に通っていたこともあったのだ。もはや勝手知ったる他人の家といった態である。
 本日のトトリは上級者向けの配合を行うための、高品質、良特性の素材たちを分類する作業に比較的熱心に取り掛かっている。何分、次に私たちが出発をした場合にはこの期間が長くなる可能性が高く、それに備えてはアクセサリや薬のストックを上質なものに一新しておきたいらしいのだ。
「聖なる力と、癒しの力と、能力、技威力アップに……あとはミミちゃんのがドラゴンで、私のが魔族特攻にしちゃお。ミミちゃん、それでいい?」
「あなたに任せるわよ。まあ、強いモンスターっていったらその辺がやっぱり多いし、二人でそれぞれカバーをしておけば間違いないわよね」
「うん、分かった。秘密のバッグもあるし、消費アイテムはコンテナにたくさん作り置いておくね。えっと、お薬に、爆弾に、爆弾に、爆弾に……」
「爆弾ばっかりじゃないの」
 相変わらずのトトリっぷりに苦笑いでして返す私がカップを一つ傾けたらば、その間にしてアトリエの扉がノックされた。
「あれ、誰かな? はーい、開いてますよ。どうぞ!」
 トトリの応じにノブが回され、果たして現れたのは、
「こんにちは、トトリちゃん」
「わ、先生。どうしたんですか、急に」
「別にどうっていうことはなかったんだけど、来ちゃいけなかったかな?」
「いえいえそんなこと、どうぞお掛けになってください」
「お茶を淹れてくるわね」
「ああ、ミミちゃん、ごめんね?」
 ツェツィさんには茶器の置き場所一式と美味しい淹れ方も教えてもらっている。最初こそはとても飲めたようじゃない、渋すぎたり薄すぎたりと加減の分からない私ではあったが、いや流石はツェツィさんだ。やり方を一からレクチャーして頂いてその通りにやったらば、いつも私が戴いている、芳しい香りと味のヘルモルト家のそれに近い一杯が完成するのだ。
 こういうのはどこか、ツェツィさんがやらなければ絶対に出来ないような類のものであると思っていたものだから、まさか自分が再現を出来るということを知った時は妙な高揚感を覚えたものだ。
 申し訳なさそうにあっちこっちと応じるトトリに、全く少しは落ち着けばいいというのに。気にしないようにと一言を残して、むしろ私からすれば披露の場なのだ。意気も揚々とキッチンへ。三人分の用意に取り掛かることとする。


 久方振りの挨拶を交わしてはそれぞれカップを口にし、やがて本日の用向きへと話題は移ろう。実際のところロロナさんは本当にこれといった次第もなく、錬金術用の素材を集めるがてら近くを通り掛かったためにふらりと立ち寄ってみたとか、その程度の用件であったらしい。
「材料の選定をしてるんだね。何を作ろうと思ってるの?」
「いつにするかはまだ決めていないんですけど、私とミミちゃんで世界中を冒険しようと思っているんです。そのために新しいミシカルリングと、エリキシル剤と、あとは爆弾をたくさん作ろうと思っていて」
「爆弾だったら私の方の倉庫にもいくつか残ってるから、トトリちゃんにあげるよ。いっぱいってなると作るのにも結構時間が掛かるしねえ」
「わ、ほんとですか? ありがとうございます」
「いえいえどういたしまして」
 細かいところまで単語を追わなければ特段に不審なところもない会話なのだが、しかしまあ世界広しといえどもどこを探せば爆弾をあげるあげないというそんな話題で一喜一憂する女子がいるものだろうか。私にしてもいい加減に慣れてきたものではあるが、一般的に見ればあの子たちは大丈夫かしらと疑われかねない話題に塗れていると感じる。
「ところで、冒険には二人で行くの?」
「そのつもりでいます。前からミミちゃんと一緒に行こうねっていっていたんです」
 トトリの言葉に頷きで以て肯定を示す。これは私たちが冒険者としての永久免許を手に入れるその前々から口にしていたことなのである。
「アーランドの外にも行くんだよね? もしあれなら、私も暫くは暇だから一緒に着いて行ってあげようか?」
 ロロナさんの何気ないであろうその一言に、しかし私の心臓は強く跳ねる。何故だろうか、その提案は私にとってはあまり好ましくない類のものに感じるのだ。
「えーと……」
 突然の提案に考え込む様子を見せるトトリで、果たして彼女は何と答えるのだろうか。よしとするのか。せっかく私とトトリの二人きりで世界中の色々なところを旅することが出来る、おそらく生涯この先には二度と訪れることはないであろう機会であるというのに。
 いや、まあ、私にしてもロロナさんのことは嫌いではなく、むしろ好感的なくらいだ。トトリのことをいつでも優しく見守ってくれて、この子が錬金術師として一人前になれたのもやはりロロナさんの助けに因るところが大きいと思う。一緒に冒険をしたこともあるし、この点に関してはしかと理解をしているつもりである。とても、優しい人なのだ。
 それでも何だろうか、譲れる問題とそうでない問題というのは確かにあるもので、いくらロロナさんとてこの度の同道にはどうかご遠慮頂きたいと、はっきりと考えてしまう私が、確かにいる。
 それはどうしてなのだろうか。一寸程を逡巡するが、しかし直ぐ様に至る――至るものだがその解答は私にとって余りにもこっ恥ずかしく、乙女チックに過ぎ、同時に認め難い気に駆られてしまうのだ。
 何がどうしたのかと、ああもう、そうなんだ。私が気に掛かって止まないのは、『私とトトリの二人だけで』冒険をしたいというその一点なんだ。いかにロロナさんであってもこれは譲れない。ロロナさんにはあのギルドの窓口係の、クーデリアさんがそうであるように、私にはトトリがそうなのであって。ロロナさん本人では理解出来ないのかもしれないが、きっとあの人ならば今の私の気持ちを汲んでくれるのではないだろうか。
 私たちにはそれぞれお互いでしか知らない、お互いの時間というものがある。私はロロナさんとクーデリアさんが昔にどのようなことをしていたのか、どういう関係であったのかを知る由はない。私が見て来た今からでしか想像を働かすことが出来ない。
 それはきっと甘美でいて、私のような者が不躾にして暴いてもいいような類のものではないのだろうと思う。その内に秘められた思い出の箱を開けるための権利というのは当人である二人しか持っておらず、すなわちそこからあぶれた私たち他人はその中身に触れるべきではないのだ。
 そしてこれに関しては私とトトリにしてもそう。今までも二人だけで材料を採取しにいったり一緒にアトリエでお話をしたりとそういうことはあったものだが、どうしてもトトリの都合を最優先に、お母さんを探しに行くという彼女の決心を何よりも重要視していたがために、私情などから来る行動はあと回しになってしまっていたのだ。
 これについての良かれ悪かれを私が安直に断ずる気は毛頭ないが、今のトトリは件の目的については一つの確からしい答えを出しては落ち着いた時期に入っているはずである。やりたいことをやりたいように出来る、斯様な余裕があるのだ。
 そんな今だからこそ私は少し我侭をいいたい。特にこれといった目的を定めることなくトトリと色んなところをぶらりと旅をするという、ささやかな我侭を。そしてその道程はやはり、私とトトリの二人だけで。二人きりがいいんだ。
 巡りに巡る思惑を走らせては、しかしトトリが次ぐ句を待ち侘びて。頷きを一つしたのちに果たして彼女の答えは、
「ごめんなさい、先生。今回は私のミミちゃんと二人だけでやってみます」
「ふぇ、そうなの? 遠慮してるなら別に気にすることはないのに」
 返すロロナさんの言葉にトトリはやんわりと首を振って応じる。
「前からの約束だったんです。ミミちゃんと二人で世界中を旅して……旅をして、うーん、どうしたいのかっていうはっきりとしたことはまだ分からないんですけれども、でも冒険者ってそういうものなんじゃないでしょうか。私たちがまだ見たことも聞いたこともない場所を色々見て回って、喜んだり驚いたりしてみたいんです」
「そっかあ……」
 そうやって先生と生徒、といった態の空気を醸し出す二人の間に割り入ることがどうにも敵わない私なのだが、ロロナさんには悪いと思いつつ、しかしともあれ幸いであった。
 私がトトリのことを――まあ、どちらかというと好いているその理由の一つとして、トトリは決して私の嫌がるようなことや方法を採らないということが挙げられる。いつだってそう、他の人からすると取って足らないような問題にしても私からすれば大事であるということはあるものだ。
 トトリはそれらを把握した上で私へと接してくれているのかあるいは偶然か、真偽については定かではないのだがともあれに今にしてもそうだ。面倒な性格をしていると、自身について覚えがある私に対して、しかし彼女はいつも正解の方法を選び続ける。特別なことなんか別に要らない。たったそれだけのことが、しかし私にとっては堪らなく嬉しいのだ。
「うん、そういうことなら二人でいくのがいいね。危なくないように、それだけは気をつけてね?」
「本当にすいません。何か我侭なことをいっちゃって」
「いいんだよお。どっちかっていうと私も気まぐれみたいなものだから、全然気にしないで。ミミちゃんも、トトリちゃんのことをよろしくね」
「任せておいてください」
 ミミちゃんがいるなら安心だね、と一言を呟いたロロナさんは空になったカップをテーブルに置いては立ち上がる。
「それじゃあごめんね。本当はもっとゆっくりしたいんだけど、材料の方も早く集めないといけなくて。何だかお茶だけ戴きに来ちゃったみたいだね」
「そんな、気にしないでくださいよ。先生なら私、いつでも歓迎ですから……っていっても、準備をしてくれたのはミミちゃんなんですけどね」
 苦笑いでしてこちらを振り返るトトリの相変わらずの調子に、私もお揃いでして返す。
「気にしなくていいわよ。ロロナさんも、トトリのいう通りにまた気軽に寄って頂けたら私も嬉しいです」
「うう、ありがとう。二人は優しいなあ。何だか元気が出てきたよ。よーっし!」
 気合も十分といわんばかりに愛用の杖を大きく振り上げてはいよいよ身を翻し。もしかして私たちが旅に出たら、先暫くはこうやってロロナさんと会うこともなくなってしまうのかなと思うと、やはりどこか寂しいものがある。
 ロロナさんにはロロナさんの人生があって、私たちにも私たちの人生がある。それらが交わっている今のこの瞬間こそが希少なのであって、それもやはり長くは続かないのだ。それぞれがそれぞれの道に進んでは、次に交わるのは果たしていつのことになるのだろうか。
「それじゃあ行ってくるね。また遊びに来るねー!」
「いってらっしゃい」
「お気をつけて」
 玄関先まで出ては大きく手を振るロロナさんを、その姿が小さく、やがて見えなくなるまで私たちは見送る。この度のトトリは私を選んでくれたものだけれども、あるいは次の機会は私が今のロロナさんの側になっているのかもしれない。人の道というやつはそういうものなのだ。いつ何時、何に出逢い、何に別れを告げるのか知れない。この無常については理解をしているつもりでいるものなのだけれども。
「さ、中に入ろう。続きをやらなくっちゃね」
 斯様な点にまで気が回っていないのか、あるいはそれをも超越する何かやっつけ方のようなものを確立しているのか。普段通りを気取っては促すトトリの背中に続いて、私は再びアトリエの扉をくぐる。
 先に広がる室内は相変わらずどこか薄暗く、訳の分からない調合用の素材や技術書などで散乱し、全く以て異質に溢れてはいるのだけれども。それでもどこか、この空間が醸し出す雰囲気はひどく私を落ち着かせてくれる。トトリの側にいられているのだと、理屈じゃなく感覚で理解を出来るからなのだろうか。
 ――この先もずっと私とトトリは、こういう関係でいられるのだろうか。
 ふと胸中に湧いた疑念へと、らしくないな、と一笑を見舞い。私は、空いた三人分の片付けへと取り掛かることとした。


「え、ロロナ先生、来てたの? お仕事中じゃなければ一言ご挨拶したかったんだけど」
「来てたっていっても近くを通り掛かったついでだったみたい。ちょっとだけお話してすぐにまた行っちゃったんだ。ね、ミミちゃん」
「そうね……あ、トトリ、ちょっとそっちのお皿を取って頂戴」
 ロロナさんが出立してから数時間後。バーでの仕事を終えたツェツィさんが早速夕飯の仕込みを始めるというので、従ってはトトリと私もお手伝いをしている最中である。窓から望む陽の姿もやがて水平線の彼方へと沈まんとする中、私たちの話題はやはりロロナさんのことで持ち切りとなっていた。
「先生は、何て?」
「こっちの方には錬金術の材料を探しに来てたみたい。それで、あの……お姉ちゃんにはまだはっきりといってなかったと思うんだけど、もうちょっとゆっくりしたら私とミミちゃんの二人でまた旅に出ようと思ってて、」
「ちょっと、初耳だわ。いつから? まさか明日にでも出るってことはないわよね? そんな急にいわれても困っちゃうわよ?」
「ああ、そんな急なお話じゃないから! 暫くゆっくりしてからだから、ね?」
 ぽろっと零した形のトトリに過剰なまでに反応するツェツィさんさんは自ら先走りを悟ったのか、それでもどこか落ち着かないような様子でトトリに委細を二点、三点と確認してはやや不満そうな面持ちでロロナさんの続きを促す。
「はあ……とにかくそれでね? 私とミミちゃんの二人で行くっていうなら先生も一緒に着いて行ってあげようかって。結局、お断りしたんだけどね」
「どうして? ロロナ先生がいてくれた方が安心……いや、安心なのかしら。ま、まあともかくそうなんじゃないの?」
 何事もなかったかのようにいい直すツェツィさんに私は思わず苦笑いを浮かべ。アーランドをはじめとするその周辺の国々では稀代の天才錬金術師と謳われるロロナさんではあるが、しかしまあ当の本人はいつでもあんな調子なのだ。面識のある人ならば今のツェツィさんのような反応を返してしまうのも無理はない。
「確かに先生がいた方が安全だとは思うんだけれども……うーん、何か同じ日に二回もこういうこというのって恥ずかしいな。どっちもミミちゃんの目の前だし」
 そうしてバツが悪そうに苦笑を面へと張り付けてはトトリ。
「今回の旅は私とミミちゃんの二人だけで行ってみたいんだ。ミミちゃんとはずっとずっと前から、お母さんを探しに海を渡った時から約束しててね。冒険者の永久免許を手に入れたら、二人で世界中の色んなところを旅しようって決めてたんだ。だから、先生には悪いけど、今回はそういうことだからって」
 一つ一つの言葉を確かめるように語るトトリに神妙な顔付きで聞き入るツェツィさんは、果たして何を思っているのだろうか。彼女のトトリに対するその一筋縄でいかない想いを私は理解しているだけに、しかしこの度の私はそのトトリをツェツィさんの元から連れ出そうと、そういう提案をしているようなものなのだ。トトリ自身もそれを望んでいるとはいえ、やはりどこか居心地の悪いものがある。
「トトリちゃんは、お母さんを探すために冒険者になったんじゃなかったの?」
 そうして返すツェツィさんの表情には、若干の悲壮感と大半の諦めのような色が滲み出ていて。もしかしたらトトリというやつは、小さい頃からこうやってツェツィさんへと我侭をいってきたのかもしれない。
「確かにそれもあるんだけど、色んなところを冒険するその度に沢山の発見があるんだ。綺麗なこと、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと全部引っ括めて。これって、ずっとこのまま村で暮らしていたんじゃ絶対に気付けなかったことだったと思う。だから、今度はアーランドだけじゃなくてその外まで、ミミちゃんと一緒に行ってみようって約束したの」
 いつの間にか作業の手を止めていた各人であるが、トトリがいい切るのに合わせてはまずツェツィさんが我を取り戻したかのように、そしてそれに続いて私たちもジャガイモの皮剥きを再開する。
 どことなく気不味い空気が流れているように感じるのは果たして私だけではないのだろう。横目にてチラチラとこちらを伺ってくるトトリの様子を見るに、私から助け舟を出してほしいのであろうがいかんせんそれは出来ない相談というものである。目を伏せ粛々とジャガイモに取り掛かることで、私は私の立場というやつを言外で示し、応じる。
 それもどれ程の間を保ったのだろうか。いよいよカゴの中に残る粒が一つのみ、これが終わったあとは何をいい訳にすればいいのかなと考え始めた辺りでツェツィさんが大きな溜息を一つ。刻んだ野菜を包丁と手で以て器の中へと落とし込んでは、やがて私たちへと向き直る。
「トトリちゃんも、いつまでも昔のトトリちゃんのままじゃないってことよね」
 意味深に呟きながら私たちがカゴの中に処理をしたジャガイモ、その内の半分くらいを別の器に移しては棒で潰し始める作業に移る。どうやら今晩のおかずはポテトサラダになるようだった。
「村から出るようになってからトトリちゃんは本当に変わったと思う。船を作ってお母さんを探しに行くっていった時も大喧嘩しちゃったわよね。でも何だかんだで折れたのは私で、トトリちゃんはすごく、すごく遠くまで行って、そしてお母さんのことをちゃんと見つけて来てくれた」
 どんな形であれ、ね――零すようにツェツィさんがいうところの、その結果というやつをトトリと共に海を渡った私は理解している。確かに私とトトリは長く果てない旅路の果て、凍えるような雪に覆われた極寒の地でギゼラ・ヘルモルトの足あとを突き止めた。そして同時に、その踏跡がこの最果ての地でいよいよ途絶えてしまったことをも同時に知ってしまったのだ。
「これって、何も行動を起こそうとせずに、ずっとこの村にいたんじゃ出来なかったことだと思う。少なくともお母さんのことはもう過ぎたことだと思って、そうやって騙し騙しやっていた私じゃ決して。だからね、勘違いしないでほしいのよ? あの時は反対したけれども、トトリちゃんのお陰でお母さんのことが分かったんだから、今は感謝してるくらいなのよ」
「おねえちゃん……」
 そうして見つめ合うヘルモルト姉妹を傍目に、果たして私はここにいてもいいのだろうか。込み入った話のようだし、一度席を外した方がいいかもしれない、そうに違いないと、剥き終わった最後の一つをツェツィさんに渡しては手を流し、この場を辞さんとする。
「ミミちゃんも」
 しかし私の手は引くことを許されず、ツェツィさんの柔らかな両手に包まれてしまって。突然のことに驚く気持ちを隠すことも敵わず、私はせめて暴れそうな心臓が身体の挙動に影響を与えないように抑えるのが精一杯となってしまう。
「トトリちゃんって、ほら、こんなんでしょう? 外に行くっていうと不安で仕方がなかったけど、ミミちゃんみたいにしっかりした子が一緒にいてくれていると思うとすごく安心したの。今までトトリちゃんを守ってくれてありがとう」
「い、いえ、私はそんな大層なことは……」
 狼狽える私をおかしそうに眺めたのちに、私に添えていた両手を離すツェツィさん。その表情は私が今までに見たことのないような慈愛と、寂寞に満ちていて。
「これからも、トトリちゃんをよろしく頼むわね」
「おねえちゃん、それって……」
 呆気に取られるトトリへと、しかしこれ以上はこんなしんみりとした空気を嫌ってのことかもしれない。ツェツィさんはいつも通りを気取っては数点の調味料を物色し、サラダの味付けに移る。
「本当に、すぐには行くんじゃないわよ? 私がちゃんとトトリちゃん離れ出来るように、最後にうんと堪能させてからそうしなさい。あとはそう、二人のために服も作ってあげてるんだから、せめてそれが出来てからにしなさい。とびきり可愛いのを仕上げてあげるからね」
 私ですらこの強がりが手に取るように分かるもので、果たして当人となるツェツィさんの辛さと来たら察するに余りあるものがある。私は、彼女から最愛の妹であるトトリを預かり、そしてこれから決して短くはない旅に出ようとするのだ。それは決して気安いものではない。
 しかしトトリは。そう思って私に背を向けてはじっとツェツィさんを見つめる格好となったままの彼女はどうしたのかと思ったものだが、見るとその肩は小刻みに震えていて、声を掛けようにも迂闊には敵わなくなってしまう。
 果たして、ツェツィさんも気付いたのであろう。味付けの作業が終わっては見遣ったその先に件のトトリを認めては仕方がなさそうに溜息を一つ。
「ほら、泣かない。そんなんじゃミミちゃんに呆れられちゃうわよ」
「う、ん……おねえちゃん……だいすきだよ」
「はいはい。私もよ、トトリ」
 そうしてトトリの髪と背中を優しく撫でやるツェツィさんの姿は溢れんばかりの情愛に満ちていて、ああ、これが家族というやつなのだなと、まるで私は一枚の絵画を見るかのような心持ちでして彼女ら姉妹をただただ、呆けるように眺めるのだ。
 幼くして母親を失った私たち。そして、兄弟姉妹のような確たる血の繋がり、温かさを欲する私たち。互いが互いを求め合う私たち――全く、本当に出来の悪い三角関係だ。今この場においては私が満たされず、しかし私がトトリを連れ出してしまっては今度はツェツィさんが独りとなってしまうのだから。
 果たして皆が皆、全てに満足を抱くことなど出来ないようにこの世の中は成っているのだろうか。丸っ切り駄目だというのであればまだ諦めがつくというのに、こうやって取捨選択をすれば捨てられた者以外は仮初めの円満を手にすることは出来るのだ。出来るのだけれども、それは少し違う。本当に、ままならない。
 そして私はとても残酷なのだろうか。ここまで思い至ったとしても、決してトトリとの約束を捨て切ることは出来ず。せめてツェツィさんには今というこの時だけでもトトリを感じてほしく、その一念で以て私はそっとキッチンをあとにするのだ。
 音を立てないようにと開いた扉の先に身を滑り込ませ、野外へと逃げたその頭上には色とりどりの煌きが散らばっている。私からすると単なる個々に映る彼ら彼女らももしかしたら元々は一緒なのであって、ある期を境にその関係を引き裂かれたような、そんな仲の者もいたりするのだろうか。そう、まるで今の私のように。
 しかし感傷にやられてしまっているのか、どうにも詩的に過ぎるなと自らを自嘲しながら。それでも歯止めの効かない私は、暫くの間を夜空の星たちと共にやり過ごすこととする。
 ――本当に。空は、どこまで行っても、どこにいても同じ空だというのに。


 年の功、などと喩えてはツェツィさんには怒られてしまいそうだが、私からするとやはり相応の時間と経験とを重ねたであろう練達を感じさせる切り替えであった。決して軽くはない悶着をこなしたあとだというのに、本日の晩餐は私もぼちぼちと馴染んできたいつものヘルモルト家のそれと相違なく、その精神のタフさには尊敬の念を禁じ得ない。
 美味しいご飯を戴いて、食後のお茶を嗜み、一日の汗を軽く流してはトトリのアトリエにて就寝の準備をして。たったそれだけの私こそがむしろ一番の引け目を感じては参っているような様であって、全く自分事ながらヤワなものである。
「ミミちゃん、もう寝るの?」
 私が髪留めを解くということはすなわち就寝を意味することであって、ここ数日の同床からトトリにしてもペースを掴んでいることだろうと思う。本日の私は少々そのタイミングが早い訳ではあるのだが。
「そのつもりよ。なに、まだ何かあるの?」
「そういう訳じゃないんだけど……」
 どうにも歯切れの悪いその様子に私が怪訝がっていると、やがて意を決したようにトトリは口を開く。
「ね、ミミちゃん。一緒に寝ない?」
「へっ……?」
 何をいい出すかと思えば、自らの毛布を軽く捲り上げながら上目遣いにてねだるトトリは、果たして何を思ってのことなのだろうか。
「私はソファでいいわよ。何だってまたそんな今になってから」
 照れ臭さから、つっけんどんな喋り口になってしまっていることを自覚しつつも、しかしもっともなことだろう。一体どうしたっていうのだ。
「今日のことなんだけど、何だかおねえちゃんとああいう話をしてたらね、私がミミちゃんと旅に出ちゃったらおねえちゃんのことも勿論なんだけど、この家とかアトリエとも暫くの間はさよならなんだなって。そう思ったら心細くなってきちゃって。今までずっと使ってきたベッドがね、何だかとても広く感じるんだ。私一人じゃ広すぎるくらい」
 語りながら、自身が我侭をいっているということを理解しながらも、しかし決して主張は曲げるつもりがないのだろう。自らの可愛さというやつを理解してのそれなのか、あるいはそうではないのか。いずれにせよトトリの放つおねだりのオーラといじらしさを真っ直ぐに当てられてしまった私は、何とも居た堪れない心持ちとなってしまう。
「自分でも子供みたいだっては思うんだけど……ね、今晩だけでもダメかな、ミミちゃん。明日からはちゃんと一人で大丈夫だから、今日だけ。お願い」
「ぐっ……」
 こうまで下手に出られては無下に断るのも憚られ、加えて理由の一端に私やツェツィさんのことが絡むとなるとまた尚更なのだ。何というか、いや、何ともいえないのだ、私は。こういうトトリはすごくズルいと感じる。
「仕方ないわね……今日だけよ?」
 いかにも不本意であるといった態を前面に押し出しながらに彼女のベッドに寄る私を、あのいつもの無邪気な笑顔でして射るトトリは全く、勘弁してほしい。眩しくて仕方がない。
「えへへ、ありがと」
 謝辞を述べながら壁側に詰めては私のためのスペースを確保するトトリに、何か下手なことをしたりいったりしては逆に私の方がおかしなことをしてしまいそうだ。黙ってその空いた場所へと潜り込み、可もなく不可もなく、仰向けにて体勢を確定させたところでゆっくりと毛布が掛けられる。
「灯り、落とすね」
 頷く私を認めたトトリがベッド脇に添えられた燭台の灯を摘んでは、いよいよ窓から差し込むささやかな月光を他に室内は暗闇に包まれる。改めて毛布を被り直すトトリの立てる衣擦れの音が敏感になった私の聴覚を刺激し、どうにも緊張をしてしまうのだ。
「ミミちゃん、もっとこっちに来なよ。あんまり端っこにいると寝てる間に落ちちゃうよ?」
「私はあんたと違って寝相は悪くない方なのよ。心配ご無用だわ」
 トトリの提案に対して脊髄反射的に返事を寄越してしまう私だが、しかしトトリにしてもそこまで寝相が悪かったとかいうそんな記憶は非ず、とにかく逆側をいっては何か実のない体面のようなものを保とうと必死になってしまっているのだろうか。そんな、自らの発言に対してすら確たるものを持てないだなんて、我ながら面倒な性格をしていると思うものだが。
「うーんとね、それじゃあ、寝相の悪い私と一緒に今こうやっていたらね、ほら、ミミちゃんが大丈夫でもひょっとしたら私に蹴落されちゃうかもしれないよ。それはよくないよ」
 強引な仮説を謳いながら私の左腕に絡んでくるトトリは、しかし何ともまあ腹の黒い小悪魔である。そうやって自らを低くしつつ、私を持ち上げるような形式に沿って乗せるものなのだから、
「そ、それじゃあ仕方ないわね……」
 また反射的に私は。この世の中には分かっていてもどうにかなる問題と、どうにもならない問題というものがあって、事トトリが絡んだ斯様なケースに関しては私はどうしようもなく後者なのである。いやまあ、こうやってお願いをされて頼りにされていることそれ自体に悪い気はせず、だとしたらばこれはこれでいいのだろうか。何が何だかよく分からなくなって来てしまったというよりもああもう、考えるのも面倒だ。悪いことではないのだから、おそらくこれはいいことなんだ。わざわざ逆を気取るのも馬鹿らしい。
「へへ、ミミちゃんあったかーい」
 そうやって私に絡み付いていたトトリは左腕に留まらず、もはや両肩を抱き込むような勢いであって。全く、どっちが温かいというんだ。私からするとトトリこそがそうである。
「全く、子供みちゃいにはしゃいじゃって」
 呟きながら、不自然を悟られないようにゆっくりと身体を左側に倒す。ほぼ真横に傾けた私は、しかし暗いといってもここまで近くては流石によく見える。ほぼ眼前に迫る形となったトトリの細面、微かな光を健気に反射するその大きな瞳にどきりとしてしまう。
「いいもーんだ。こういうことが出来なくなるのが大人だっていうなら、私はずっと子供のままでいるもん」
「またそうやって」
 私の言葉が悪戯心を刺激したのかあるいはそうでないのか、トトリは一層のこと私に寄り掛かるようにするものだから首筋を前髪が掠めてはこそばゆくて仕方がない。目と鼻の先にある頭頂部からはトトリの発する甘い匂いが立ち込め、くらりとしてしまう。ああもう、どうして私はトトリのせいでこんなに一杯一杯なんだ。
 そうやって暫しの間を彼女の甘ったるさと自身の煩悶とに煽られながら、舌先三寸にて自らの最終防衛線を守ることに躍起となる私であるのだが、ところで私は就寝をしようとしていたのではないだろうか。こんなことでは眠れるものも眠れないなと、しかしその反面トトリのべったりぶりに居心地の良さを感じているところも確かにあり、そしてどちらかといえば心の天秤はそちら側に傾いているのだ。おそらく私にはこの状況をふいにすることなど出来やしないのであろう。
「ねえ、ミミちゃん」
 直前に何を喋っていたのか、それすらも定かではない私はどれ程に緊張していたというのか。どこか、今までとは語りの調子を変えたトトリに私は少々の落ち着きを取り戻しては傾聴の姿勢にて構える。
「私ね、ミミちゃんと冒険に出るのが本当に楽しみなんだ。ミミちゃんは覚えてるかな。私のお母さんがもういないっていうのが分かってから、村に帰る途中に船の上でね、ミミちゃんが、」
「ああああっ、あんた、あれはもう忘れなさいって!」
「そんな、忘れられる訳ないよお」
 思わず肩を掴んではゆすり始める私にトトリは困り顔で、それでも余裕綽々して応じるのだ。不覚である。どうして私はあんな話をしてしまったものだろうか。
「ミミちゃん、聞いてよ。からかってるんじゃなくてね、私すごく嬉しかったんだ。ミミちゃんが私と、私のお母さんのことをまるで自分のこと、自分の家族のことのように考えてくれて。普段は絶対にそういうことを話さないミミちゃんが、私にだけお母さんの話をしてくれて……そうだよね? 私以外には話してないよね?」
「誰が……あんなこっ恥ずかしい話、あんた以外に出来たもんじゃないわよ」
 周囲の闇がこれ程までに幸いだと感じたことはない。自身でも確かめようがないのだが、きっと私の顔は真っ赤に染まっていること間違いがない。
「ふふ、だよね。だからだよ。私、すごく嬉しいんだ。私のお母さんはもういないけれども、私とかお母さん、お姉ちゃんのことをすごく分かってくれるミミちゃんがいてくれて。今もこうやって一緒にご飯を作ったり家の掃除をしたり、おはようからおやすみまでしてくれて。まるでもう一人お姉ちゃんが出来たみたい」
「あ……う、その……」
 いつになく好意をストレートにぶつけてくるトトリに対して、ただでさえ紅潮していたであろう私の顔色は今やどのような塩梅になっているのだろうか。もはや私のコントロールを離れては自力ではどうにもならないところにまで飛んでしまっているに違いない。
「私が一人前の冒険者になれたのも、船の材料を全部集めて、海を渡って、お母さんを見つけて、お母さんが出来なかった塔の悪魔の封印をすることが出来たのも、全部私一人の力じゃ無理だった。ミミちゃんがいてくれなきゃ、絶対に出来なかったと思う」
 横向きのままにトトリは私へと更に擦り寄り、あちらこちらへと遊ばせていた腕をまとめて私の首筋へと回す。がっぷりと抱き抱えられてしまった私は物理的にも精神的にも、いよいよ居住まいを正すことさえ敵わなくなってしまう。
「ありがと、ミミちゃん。私にはミミちゃんがいてくれて本当によかった」
 そうしては存分に余韻を残すトトリに、しかしまるで何もかもが私ばかりやっているような語り口の彼女は、少しばかり誤解をしているようである。
「私だけじゃないわよ」
「ふぇ?」
 いうかいうまいか寸時悩んだ私であったが、こんな流れになってしまっては既に引くことなど敵わず――何だろうか、どうにも件の船上でのテンションに近いものがあるような気がする私なのだが、すなわちここで語らってしまってはあとになってからまた後悔をする気もして。
 それでも、今程のタイミングもないように思う。他ならぬトトリなのだ。話しておくべきだと感じる。
「だから……! まるであんただけが私がいてよかった、みたいにいうから、そんなことはないって話! 私だってその……トトリがいて、よかったわよ」
 威勢がいいのも最初だけであって言葉尻になるに連れて萎んでいく声量は、私自身はともかくトトリまでをも困惑させているようで何とも気不味い空気が漂ってしまう。分かっている。こういうやり掛けが一番いけないんだ。私は何か、もう少し喋らなくてはいけない。
「前にも話したと思うけど、私には小さい頃からお母さんがいなかった。でもお母さんが遺してくれた、貴族の誇りに関する教えだけはずっと守り続けてきたの。それが世間的にはもはや大して意味のない、有名ながらも無実なものになりつつあると知りながらね。でも私にはそうすることしか出来なかった。お母さんを裏切らないということが、それまでの私にとっては何よりも大切なことだったのよ」
 ここまでは船上でも一度話した内容であるが、この先。既に羞恥心で水をも沸騰させかねない勢いである私なのだが、これからは一層の熱が必要なのであって、夜中特有の、何だ、そういう訳の分からない勢いで走り切るしかないのだ。
「でもトトリ、あなたのお陰で私は少し自分が変われたと思っているのよ。ただひたすらに本当のことだけを知りたいと、その先に恐ろしい結果が待っているかもしれないというのに、ただひたすらにお母さんを追い求める姿にね、確かに私は感じ入るものがあったのよ。私よりもドジで、ちっさくて、運動神経もそんなにいい訳じゃないっていうのにね」
「み、ミミちゃんそれはひどいよ……」
「黙って聞きなさい。だからこそなのよ。錬金術にしてもそうだわ。最初は失敗して爆発ばっかりしてたっていうのに、ロロナさんに教わりながら自分で調べながら、この数年で見る見るうちに成長して。そっちの方面に関しては私はからきし分からないものだけれど、それでも出来上がってくるアイテムの品質とかを見れば分かる。認めたくないけどドラゴンだとか塔の悪魔だとか、規格外の化け物もいたじゃない。ああいうのを相手にするには、あんたが苦労して作り上げた強力な爆弾やアイテムがなければ、流石の私も厳しいものがあったと思う」
 一息に捲し立てては息切れを感じ、それでも止められたものではない。改めて一つを大きく吸っては私は続ける。
「あんたは、常に変わり続けたのよ。お母さんに逢いたい、ただその一心にして。足りないものは足せばいい、知らないことは知ればいい、出来ないことは練習をすればいい。単純なことだけども、簡単なことではないわ。少なくとも長い間、頑なにエゴを通し続けてきた私にその純粋さを真似することはなかなか出来なかった」
 喋り上げるに連れて頭の中がクリアになっていくのを自覚出来るのだけれども、それでも自身が何をいっているのかはまるで分からないような妙な感覚がある。感情と口頭とが直結したかのような混じり気のない感触を頭の片隅に覚えながらも、いよいよそれも終わりだ。何が怖いものか。私はトトリの頭を両腕で抱き抱え、その耳元に間違いのないように一つ一つをはっきりと、それでいて静かに紡ぐ。
「でも、トトリのお陰で私も変われたのよ。お母さんのことも、自分のこれからについても、私は何がしたくて、そして何をするべきなのか、トトリのお陰で考えることが出来た。今の私が一番だなんてことはない。私には、私たちにはもっと何か出来ることがあるはずなんだって。そう、だから……」
「……ミミちゃん?」
 詰まる私に心配そうな声を寄越すトトリなのだが、分かっている、どうということはない。ただ、ここに至って私はいよいよ照れによってどうにかなってしまいそうなのであって、これからいわんとすることは更に今までのそれとはその、クサさが比ではないのだ。
 いうかいうまいか、寸時を悩むものだがしかしこのままいつまでも保てたものではない。ああもう、今になってなんだ。ここまで来てしまったのだ、今更だ。
「その、だから……これからも私と一緒にいなさいって話なのよ! 私はあんたといると何だかすごいことが出来る気がするの。あんたと一緒に冒険をしているとすごく楽しいの。ずっと、ずっとそうしてたいのよ。っていうか、ああもう、何てことをいわせるのよ。察しなさいよ、バカ」
「えぇ、ばかってそんな。いい出したのはミミちゃんなのに」
「いい訳しない! ……っく、だから何で私はトトリにこういうことをいっちゃうのかしら。汚点だわ。黒歴史だわ。我が人生最大の不覚だわ」
 いよいよ我慢をし切れなくなった私は口汚くトトリを罵りつつ、彼女の頭に回していた腕を解いては身体を水平方向に反転して。だってそうじゃないか、どんな顔でいればいいんだ。こんな狭いベッドの中で、いくら暗いとしたってもし私の表情を悟られてしまったら。ああもうダメだ、やってられない。
 背中を丸めて毛布を頭から被り直す私に、何だかうしろの方からミミちゃん可愛いだとか何だとかそんな言葉が聞こえて来たような気がするのだが、いや、気のせいなのである。私は何も聞いていないし、何もいっていないのだ。見ない、聞こえない、関わらない。
 そうして穴に潜った熊を気取っていた私だが、背後からトトリが一つ二つと何か呟いているのを認めつつもしかしやり過ごしていたらば、しかし唐突に私の頭を守っていた毛布を引っ剥がされる。
「っちょ、トトリ!」
「ちゃんと聞いてってば、ミミちゃん」
 動揺する私の肩を取っては自身の側に引き倒し。突然のことに抵抗する間もなく仰向けにされてしまった私に、間髪入れずにトトリは伸し掛かってくる。
「ひゃっ……ちょっと、トトリ!」
 さっきのようなお遊びでは済まされない。反射的に閉ざそうとした股の間には既にトトリの足が差し込まれており、両脇の下から腕を通されては背中からがっちりと半身をホールドされ、まるで自由が効かない。というよりも何だ、トトリにこうされているのかと思うと見る見る内に身体の力が抜けてしまう私は、まるで借りてきた猫のような様となってしまう。勝手がならない。
「自分だけいいたいことをいってあとは知らない、なんてひどいよミミちゃん。私にだってそういうの、やらせてよ」
「ば、バカ。こういうのはそうやって約束してからやるんじゃダメなのよ。ちょっとこう何ていうかその時の気の迷いだとか勢いとかそういうのがあってこそ、」
「私バカだからそういうの分かんないし。それにこうしてるとミミちゃんは動けないでしょ? 私のいうことを聞くしかないんだよ。ふふ……」
 窓際から射し入る月光はトトリの細面を横から照らし、青白から始まったそれは反対側に移るに連れ、濃黒へとグラデーションを掛けていき。しかし何とも妖しげな雰囲気だろうか。為す術なく身を固められているという事実も相まっては、私は完全に目の前の少女へと気を飲まれてしまっているのだ。
「ああ、でも何だろ」
 私に跨りながら困惑の表情を浮かべるトトリはしかし、どうしたというのだろうか。緊張でして続きを待ち侘びる私に、
「何か、こうやって改めてやるぞー、っていっちゃうとやりにくいものがあるね。確かにミミちゃんのいう通りな気がしてきた」
 そうして苦笑いを浮かべるその様子には、私は盛大な溜息で以て応じる他にない。
「だからいったじゃないの。ほんとバカなんだから」
「もう……ばか、ばかって。さっきからひどいよミミちゃん。うぅ、もう決めた!」
 宣言と共に、腕立てでして私との空間を作っていたトトリは一気にそれを脱力させる。彼女の全体重で以て私に覆い被さるような形となるのだが、しかし相変わらず線の細いものだ。柔らかくも肉の感触の薄いその身体に直上から押さえ付けられた私は、さて。体面はともかくとして、こうして意図的に理論的な思考を先行させなくては内心いよいよどうにかなってしまいそうなものがあって、これにはどう対処したものか。冗談では済まされないような心地の良い肌触り、体温、香り。そして重ね合わせた胸元からはトトリの控え目な鼓動が伝わってくるもので、ああ、これはダメだ。どうしようもないくらいに何もかもが近すぎる。頭の中が掻き回されていくようだ。
「ミミちゃんは、明日からもこうやって私のベッドで寝ること。約束だよ」
「は、はあ!? いきなり何いってるのよ、意味が分からないわよ。どうして私がそんなこと」
「ミミちゃんのいう通りに勢いだけでやってるんだから、意味なんてなくて当然なんじゃないかなーって思うんだけど」
「そんな、理由になってないわよバカ……」
 トトリのいう突然の無茶に私がバカ、無茶だと返して、それでもトトリは一向にそれを聞き入れようとしない。果てに折れるのは私なのであって、しかし何だろうか、これが実にいいのだ。
 妹がいて、もしも駄々をこねては甘えられるとこういう感じなのかなと、胸の内をむずむずさせながらに感じ入ってしまっている私には、とてもじゃないが抗い難いものがある。
「とにかく決まりだよ。ミミちゃんがいつも通りソファーで寝るっていうなら私がそっちに行っちゃうから。でも、向こうはそれこそ狭くて嫌でしょ? だったらいっそこっちでやった方がいいんだよ」
「何で、そうなるのよ……」
 無茶苦茶なトトリ理論に翻弄される私は、しかし内心においては既に明日以降もこれら手順を踏むことを確定事項としており、すなわち口をつく何もかもが言葉遊びの域を出ることはない。私はトトリが何と返して来ようとも一向に反対する気など非ず、仕方がないなと、その一念でして何もかもを許容してしまうのだ。
「一人は寂しいよ。ミミちゃんはもうずっと、そう。だからね、これからは一緒にいよ? 私がミミちゃんの側に。ミミちゃんが私の側に。そうやってずっとずっと。そうすればきっと、寂しくないから」
「バカトトリ……」
 私の口はそうやって音を紡ぐが、しかし反して心は喜びに打ち震える。
 今という一時をこうして振舞うことが、長い長い先までをずっとそうする約束となるのだと、そういう認識で以て私はトトリの華奢な身体を抱き込み。ぼちぼち、軽口なども要らないものだろう。
 そうして、そのまま。やがて私たちは意識を蕩けさせていく。それはとても温かくて心地が良く、今までで一番のものだったと私は感じた。


 お母さん。見てるかな、聞こえてるかな。良く分からないけど、教えておくね。
 お母さんがいなくなって、私はすごく寂しかったんだ。いつも心の中のどこか大切なところにぽかんと穴が空いているみたいで、それにも慣れたものだと思っていたんだけど、やっぱりそうじゃなかったみたい。私はもう、ずっとずっと寂しかったんだ。
 でも、大丈夫。今はもう、平気になったんだ。
 みんなみんな、この子のお陰。私の大切なお友達のお陰。
 私は、これから精一杯生きて行くよ。私のために、私を産んでくれたお母さんのために、そして、愛しい愛しい、この子のために。
 危ないこともあると思う。怖いことだってあると思う。
 それでも私は、この子と同じ道を歩くんだ。それでも私は、命を掛けてこの子を守るんだ。
 私が誇るべきこの名に掛けて。
 だから、ねえ、見ててね、お母さん。
 私は、頑張るからね。


 その後、私とトトリは何だかんだと一月強をアランヤで過ごすこととなった。トトリが作成している錬金アイテムの完成を待たなくてはならないのもそうだし、何よりツェツィさんが私たちのために下ろし立ての服を作ってくれていたのだ。日中はゲラルドさんのバーで仕事をしているため、急ぐ私たちのためにと日々夜鍋をしながらコツコツと進めてくれていて。そのような背景を知っているものだから、完成の暁にはもう、嬉しさで頭がどうにかなってしまいそうだった。初めてお目に掛かってから今日というこの日に到るまで、ツェツェさんに関しては本当に感謝の念に絶えることはない。
 そうして温かなヘルモルト家に、村の人々に送られながら、いよいよ私とトトリは世界中を巡るための旅に出た。当て所などない。どこに行こうか、と、それこそ出発をしたのちに訊ねた私へと、トトリはその辺に転がっていた木の棒を地に立てては手を離し。そうしてそれが示した北西の方角へと、
「こっちに行こう」
 無邪気に腕を向けるトトリへと仕方がなさそうに応じる私は、しかしそれでいい。
 この度の道程は、それこそ道半ばにて単発的な目的が出来てはそれを確たるものだと目指すこともあるかもしれないが、基本的には天辺からあっちに、次はこっちに、と筋道立ててはぎゅうぎゅうと詰め込むようなものではないのだ。
 そう。荷物をまとめるに際し、私とトトリはそれぞれお揃いのカバーであしらわれた日記帳を用意した。これにはその日その日で起きたことを都度書き込んでいくつもりであり、種々の嬉しさや楽しさ、あるいは驚いたり悲しんだりすることもあるかもしれない。それらたくさんの過程、思い出を綴れるようにと敢えて通常よりも大きめのものを誂えたのだ。
 既に数ページは埋まっているものだが、しかし先は長い。私はこの一冊をトトリとの思い出で一杯にするつもりなのであり、トップダウンな選択などしていてはそれは叶わないものであろう。行き当たりばったりで感じ入るものにこそ、私たちが求めている何かがあるのだ。少なくとも私はそう感じている。
 そうして気ままにぶらりと道行く私たちは、さて、出立してからのこの数日は幸いであったといえるのだろう。アランヤに留まっていたこともあっては久しく見えることのなかった気配へと、私は背負う荷を下ろしては続いて槍の包みを解く。
「え、あれ? ミミちゃん?」
 しかしこの辺は実にトトリなのであって、これだから私が一緒にいてやらなくてはならないのだ。
「数だけは多いわよ。あんたも早く、身を軽くして杖を構えなさい」
 私の忠告にわ、わ、とか慌てながら杖とポシェット以外を下ろすトトリがそれでも構えらしい構えを取れた頃合いで、件の客が木々の間より音も立てずに姿を現した。
 アポステルと同タイプの魔物が、数は四か五か。身体の色が赤いものだから、おそらくスカーレットなのだろう。私とトトリが出会ったことのある同系の悪魔としては最上位の力を持っており、遠近問わずに豊富な手数とタフネスと、今もそうであるのだが群れで襲ってくることが多い点が厄介な相手である。
 一般の人々からするとまず手に負えない程の魔物に、しかも唐突にこんな大入りでして歓迎されては通常は生命の危機を覚えるところである。私にしても何分、数が数なのだ。他愛なくとはいかないであろう。油断なきよう引き締めては気を非常時のそれへと昇華させていくのだが、しかし斯様な状況の反面にはどこか懐かしさを感じている自分もまたいるのだ。
 頭にインプットされている当該モンスターの諸元を引き出しては、それに対して実践してきた最適な行動を身体に用意させる。彼我の位置関係を改め、トトリにやつらが近付けないよう立ち回りのシミュレートを行い、それが完璧には成せないことを悟っては次善手、そして三の手、四の手と、ある程度のカードを揃えては用意も万端だ。
 得てして、実際の現場においての考え過ぎは図るに落ちてしまうものだ。こういうものはある程度は筋道立てて、ある程度は行き当たりばったりなくらいで丁度いい。
 来るべき瞬間に対して、内なる血潮が熱せられていくのが自覚できる。程よい高揚感を感じて来ては、さて、ここからは私の本分だ。
「行くわよ!」
「う、うん!」
 高速機動を得意分野とする私の戦法を最も効率的に運用することが出来るのはいつだってそうだ。先手必勝。
 私は、身を沈めては脇目も振らず手近の一匹に狙いを定め、最大戦速で吶喊を仕掛ける。急襲を追い切れずまごつく獲物に、しかし備える暇など与えられたものではない。
 支点、力点、作用点が最適に働くポイントでして足を強く踏ん張り、それを軸にし右手側へと鋭く身を翻す。蓄えられた運動エネルギーを逃さぬよう、下半身で上体を保っては更に遠心力を矛に乗せて、一撃。
 振り抜いた手元に伝わる衝撃と眼前に広がる光景とは間違いなくクリーンヒットのものである。その感触を認めた私は袈裟により打ち付けられた彼へと、再度反回転。軸を縦にした円運動から生み出された破壊力を直上より打ち付ける。
 派手に上がる打撃音と共に手応えを感じた私は、しかし浸ってもいられない。やり終えたあとが肝心なのである。直ぐ様体勢を整え後続の反撃に備えようとしたその瞬間には、打撃には程遠い間合いから手を振りかざす数匹と、それに合わせて私へと突っ込んでくる残りの姿が見て取れた。前衛と射撃部隊とを分けては効率良く戦線を維持する腹積もりでいるのだろう。敵ながらその判断は的確なのであって、全く以て、これだからこいつが群れると厄介だというのだ。
 対する私は、下手に動いていないのであれば射線上にトトリはいないはずだ。うしろを改める猶予のない現状において、その可能性を信じて軸をずらしては間欠的に撃ち出される射線と肉迫から都度逃れることに一先ず専念する。
 細かな後退を繰り返しながらフレンドリ・ファイアの可能性が高まる位置へと前衛部隊を誘導する私に、ひたすらダンズフレイムを撃ち込む彼らもやり辛さを感じたのであろう、手を収めては白兵戦へと切り替えようとする彼らの足元に、しかし見覚えのある赤色の筒が投げ込まれる。先端に取り付けられた導火線には既に着火が施してあり、
「いけー!」
 トトリの掛け声と共に盛大に爆発、炎上飛散する。こうも煙幕が立ち込めては、効果の程を確認するのは容易ではないだろう。私はそちらに対する優先順位を下げ、前方の敵へと集中することとした。
 ステップを踏みつつ横薙ぎの一撃にて彼我の位置関係を調節しつつ、今。このタイミングだ。
「――ッ!」
 劣勢から反転、急加速にて突撃を仕掛ける私は先頭のスカーレットの眼前にて踏み込み、急停止。生み出された作用力を損失させぬよう、むしろ更に上乗せるようにと全身のバネを活かしては最短、最速の軌道にて渾身の突きを繰り出す。
 直撃を見舞われた先陣はおろか、陰となっていたはずの後続をも貫く矛先の感触は私が何度も繰り出してきた必殺の一撃に相違なく、逸らすことも敵わずまともに受ける形となった二匹はこの槍撃の前に為す術なく倒れ伏す。
 これで、私が直接薙いだだけでも三匹。トトリのフラムを受けた残りはどうなったのであろうか。未だ効き難い視界を巡らせては振り向いた後方にて、しかし急時としては何とも気の抜けた声が上がる。
「え、えいっ! やあっ!」
 どうしてそこに、と寸時私は考えを巡らせるのであるが、おそらく先の爆撃にて足元から吹き飛ばされては私の頭上を飛び越えてそちらに落下したのであろう。深紅に絡まれ相変わらずの野暮ったい振り抜きで打撃を見舞うトトリに、私は考えるよりも先に身体が動いていた。
「私に任せなさい!」
 脱兎として間合いを駆け抜け、動きを完全に見切られていたトトリの振りかぶりに対して今まさにカウンターの爪撃を見舞おうとしていた彼を、横手から急ぎ薙ぎ飛ばす。
 意図せぬ方向からのカットに面食らっているスカーレットへと、しかし暇など与えてはいられない。物をいわせる間もなく、ここで決めるのだ。
 思想と意気とが至り着いた私は来るべき急加速、急制動に備えて筋肉が痛まぬよう、呼吸からして保ち方を整えては再度必殺の間合いへと身を詰めて。さあ、ついて来れるか。
 軸を小さく、鋭く畳んでは見舞う右への薙ぎで咄嗟に火球を放とうとする彼の右手を潰し、次いで返す先で左の薙ぎと続けて、まだまだ行く。右、左、右、左と続け様に見舞った末に愛槍を地へと走らせ、駆け抜けるその瞬間の反動にて下段からの渾身の打ち上げを放つ。
 重力に逆らい、高く宙を舞うスカーレット。私は跳躍してそのあとを追い、於ては、上を取る。
「そのまま……」
 身を捻り、打撃に最適なポイントと体勢を確保しては来るべき一振りにあらん限りの気を込める私は、溜めに、溜め――、
「這い蹲ってなさい!」
 一閃。
 獲物を貫くのみに留まらず、地にまで突き刺さる紅の波動の手応えはもはや改めて認めるまでもない。
 再び重力に捕らわれ始めた身にフォローを入れては具合の良い角度にて着地をし、すかさず周囲を窺ってみるがどうやら今のが最後であったようだ。敵意の霧散を感じては頭上にて一つ振りの芸を打ち、やがて私は矛を収める。
 ここに至ってようやく、おそらく大事となる前に庇うことが出来たと思ったが、間に合っただろうか。振り返っては駆け寄り、彼女の身形を改める。
「大丈夫だった?」
「うん。ミミちゃんが助けてくれたし、それに私だって、昔に比べてちょっとは出来るようになったんだからね?」
 私の言葉にトトリは満面の笑みにてガッツポーズを作っては、いやはやしかしそんな細腕で。何とも庇護欲をそそるいつも通りの姿へと、ともあれ無事だったようで幸いであった。
「あんまり無茶はするんじゃないわよ。あんたのことは私がちゃんと守ってあげるんだから」
 何気なく口から零れた言葉へと、しかしトトリはぽかんと口を開けては何かを感じ入ったかのように、
「う、うん……ありがと、ミミちゃん」
 そうやって乙女乙女としてしまっては、何だ、しかしこっちがやり辛いではないか。こうして冒険の道中において彼女を助けることなどもはや珍しいことでもないのに、どうして今になってそんな。
 どうにも気恥ずかしくなってしまった私は、しかしトトリのそんな機微など気付かなかった振りを気取っては置いた荷物の回収に掛かる。トトリも気を取り直したのか、私のあとに続いてはお互いに再び行程の方向へと歩みを始めた。


 何でも、道中で訪れた先の人々によると、私たちの行く先にはアーランド程の規模ではないが、アールズという小さな国があるらしい。トトリのお母さんを探すための冒険では私たちが踏むことのなかった地であり、それもそのはず。辺境の果てにあるこの国は周辺の土地が全く開拓されておらず、実に自然味溢れる――などといえば聞こえはいいが、実際には人が行き来をするには向かない環境にあるのだ。今まで耳に挟むことがなかったというのも頷ける話である。
 その、あるがままの大自然というやつに揉まれながらを現在進行形で進み行く私とトトリであるのだが、いやはやこれがまた山を越え、谷を越え、森やら砂漠やらもう何でもありである。少し場所を変えるだけで環境ががらりと変わるものだから、対降雨や耐熱など、トトリの錬金アイテムにはお世話になりっぱなしだ。
「やっと抜けたねえ。そろそろアールズに着くかな?」
 日記帳のページを繰って見ると、アランヤを出発してからはほぼ二月が経過している。結構な距離を移動してきた私たちは、見聞に相違がなければぼちぼちアールズに到着してもおかしくはない頃合いであるだろう、と希望的観測をしてみるのだが。
「焦っても仕方がないんじゃないかしら。いずれにせよコツコツと進むしかないわよ」
「まあ、そうなんだけどね」
 うーん、と大きな伸びを一つするトトリは、しかしここ数日の私たちは四六時中ジメジメとしては湿っぽい雨林を踏破して来、ようやっとそれも越えることが敵ったのだ。周辺に邪魔な木々がなく視界が良く効くというのは本当に素晴らしいもので、私も彼女に倣って一つ大きく身体を伸ばしては鬱屈とした気分を吹き飛ばすこととする。
「それよりも、ねえ。そろそろお昼にしない? 久々に美味しく食べられそうな場所だし、ゆっくりとパイが食べたいわ」
 風通りの良い草原は周辺に何の障害物もなく、どこに場を広げようとも問題なくランチと洒落込めそうな塩梅だ。身を丸めることばかりだったこの数日の分を取り戻せるように、うんと足を伸ばしては心ゆくまでトトリの手作りを堪能したいものである。
「じゃあさ、ほら、あの辺。川原が見えるよね。あそこまで歩いてから休憩にしよ? ずっとじめじめしてたから、せっかくだし食べたあとに顔とかも洗ってさっぱりしたいな」
 その提案には私についても否やはない。もう少しの辛抱と、さらに四半刻程を進んだ末に私たちは念願の一服へとあり付けた。
「この辺に広げちゃうねー」
「任せるわよ。私は火を起こしておくわ」
「うん。お願い」
 ばさばさとシートを風に遊ばせながら場所を定めたトトリはバッグやら何やらで四方を固定し、私はそこから付き過ぎず離れ過ぎずの位置にて石を組んでは中央にて着火を果たす。水場が近いものだから遠慮なくお茶を作ることも出来るだろう。トトリにしてはいい判断ではないか。
 火種が問題なく安定してきたことを認めて、そうなるとお次は水だ。私は携帯用の小鍋を片手に、河原の水質に問題がないことを確かめてから一掬い。作ったばかりの火上に早速掛けることとする。
「はい、ミミちゃん」
「ありがと」
 特段に頼んだ覚えはないのだけれども、私がやっていることからおそらく察してくれたのであろう。先の作業に必要となる茶道具一式を持って来てくれるトトリに息の合いを感じながらも、いやしかしいい香りだ。食欲を刺激されては腹の虫が鳴ってしまう前に作ってしまうこととしよう。
 火に掛けた鍋の内から少々の湯を掬ってはそれぞれ私たちのカップとポットに注いで温めて。頃合いを感じてはポットの方は中身を出し、改めて茶葉と湯とを投入する。
 てきぱきとツェツィさん流を再現する私を横目にしかしさっきから何だ、トトリは妙にニコニコとしながら眺めてくるもので気になってしまう。何かあるのか、と、視線に乗せて一瞥をくれてやったらば、「ん?」とか無邪気を気取りながら、
「ミミちゃんの淹れてくれるお茶ってお姉ちゃんと同じ味がして美味しいからさ。楽しみだなあって」
 いっそ問い詰めてやろうかといわんばかりだった私の気勢はしかしトトリのたったの一言で霧散してしまったもので、そ、そう、とか何とか。まごついた返事をやるので精一杯となってしまう。
 そうやって相変わらずのトトリっぷりに私が心地の良い狼狽を覚えている内にも、しかし出来上がりだ。二人分を順番にカップに注ぎ分け、トトリの用意してくれたパイを広げては、さて。
「それじゃあちょっと遅くなったけど。いただきます」
「いただきまーす」
 二人仲良く合掌をしては早速取り掛かる。トトリお手製のミルクパイを一片やりながら紅茶を一啜りして、ああ、しかし風が心地良い。事ここに至ってはようやく生き返ったかのような心持ちだ。
 トトリと他愛のない話題を交わしながら、しかし先程は自分で行ってみるしかないとかいったものだが、実際のところそろそろアールズに到着してほしいと思っているのは私にしても同じなのである。
 トトリのバッグのお陰で消耗品に関する心配というものはそこまで深刻ではないのだが、如何せん身体の方に蓄積されている疲労はぼちぼち誤魔化しの効かないレベルにまで至っており、たまにはふかふかのベッドでゆっくりと手足を伸ばして眠りたいものだ。
 トトリにしても私にしても、一度の行程でこれ程の距離と時間を掛けることは滅多にないことであるため、流石に先の見えない閉塞感というものは覚え始めてきている気がする。
 と、いっても、まあ。
「アールズも、そろそろ近いのかもしれないわね」
「え、どうして? ミミちゃんも来たことないよね?」
 パイの端にちびりと齧り付きながら不思議そうな顔を寄越すトトリで、何ともまあ見た目に違わぬ小動物的な所作である。
「川の周りとかがほら、他の場所に比べて少しだけなんだけど高くなっている気がしない? 氾濫に備えるために土を盛ったあとだと私は感じるのよ」
「んー、いわれてみると確かに……」
 今まさにその高所というやつにいる私たちの周りは右を見ても左を見てもなだらかな下り斜面となっており、これについては確かに人の手が入ったという、その当時の残り香を感じさせる。とはいっても、アーランドでは氾濫の可能性のある、あるいはそうなっては不味そうな箇所ではもっと徹底した強度での堤防を築いるため、それと比べてしまっては実に半端且つ華奢なものであり、あるいは気の遠くなるような昔に施工をしては今の今まで放りっぱなしにし、ここまで風化してしまったのかもしれない。
「人の手が入ったあとっていう、確かな証拠だと思うわ。もしそうだとするならば、街とか村っていうのは水辺の側に出来るっていうのがまず常套だから、方角的にもぴったりだし、この川を遡っていく感じにすれば、」
「アールズももうすぐ、ってことだね?」
 断言は出来たものではないが、段階的に論を進める私の振りに対して気持ちのいい答えを返してくれるトトリに、私は深く大きく頷いて応じる。
「やっとかあ。嬉しいなあ。あ、そういえばアーランドだと私、王様もお姫様も見たことがないかも。普通、国があるとそういう人たちっているものだよね? アールズに行けば見られるのかなあ」
「さあ、どうかしらね」
 加速していくトトリの乙女思考へと曖昧な返事で以て応じる私なのだが、何でも噂に因るとアーランドの王様には放浪癖があり、今も何処にいるのかどうかすら定かではないとか。トトリの知り合いのあの、名前を失念してしまったのだが例の怖い顔の人もその王様を探すためにあれこれしているのだと、そんなことをいっていたような気がする。
「いいなあ。私もお姫様みたいにさ、ふわふわで真っ白なドレスを着てさ、一度でいいからそういうのをやってみたいな。国の民にね、トトリさーん、って呼ばれてさ。大人っぽくさりげなく微笑んで手を振って返したりするんだあ」
「……っく!」
「あー、ミミちゃんったら、笑うなんてひどいよ! 私別におかしいこといってないのにさあ」
 頭に豪奢なティアラなんかを飾っては床を引き摺るような長ドレスを纏って、濃い目の化粧でいかにもお上の方然とした微笑みを振りまくトトリを想像してしまった私はいよいよ腹筋の痙攣を抑えることが敵わなくなり、いやしかしそんな笑うなといってもこれはちょっと。もう、ごめんなさいトトリ、あなたが大真面目なのは理解したけれども、これは暫くは無理だわ。
 そうして不満気にぶーたれるトトリを目の前に一頻りの煩悶を堪能してはようやっとの落ち着きを取り戻す私で。しかしまあ、何でまたそんなお姫様だとか何とか。
「トトリは、そのままでいいわよ。飾らないで、ツェツィさんの作ってくれた私とお揃いの服を着てさ、私と一緒にいてくれればそれでいいの」
「ふぇ」
 涙目になりながら何気なく零す私へと、それまでは不服で堪らないといった様子だったトトリはぴたりと鳴りを潜めては反転、途端に居心地が悪そうにするのだ。どうしたものかと思っていた私へと、ぽそぽそと呟くトトリは。
「ミミちゃんって、そういうところとかたまにズルいよね。たらしさんだなあ」
「なっ、ちょっと」
 今度は全く以て不本意である私がトトリを問い詰める番なのであって、何をしてたらしなのかと、それにしてもお姫様はないだろうと、そんな他愛のないことを延々といい合っては、まあ何だっていいのだ。気兼ねなく時間を潰せさえすればそれでいい。
 ともあれそうやって私たちはどれ程の間を駄弁っていたものだろうか。ぼちぼち身体の方も休まって来た頃合いだ。
「そろそろ行きましょう」
 久々の大休止に後ろ髪を引かれる思いがあるものだけれども、だからといってそうそうゆっくりもしていられない。日が出ている内に進めるだけ進んでおかなくては、それこそいつまで経ってもアールズには辿り着けないというものなのだ。
 トトリにしても理解しているようで、特段に引き摺ることもなく広げたものを仕舞いに掛かり、私たちは着々と再出発の準備を進める。
 そうして黙々と手を動かしながらも頭の中では先の一幕を反芻する私で、しかしそうか。お姫様、か。
 どうせトトリのことだ。それは一時の気まぐれ、何とはなしに口をついて出た言葉のそれ以外にないのだろうけれども。しかし何だ。どうしてか私も少し、そんな気になってきてしまったではないか。
「トトリ、ちょっとこっちに来なさい」
「うん?」
 広げた荷物を丁度畳み終えた頃合いであったらしい彼女は、相変わらずのどこかひょこひょことした足取りで寄って来ては疑いもなく私の言へと従う。
「手を出して。そう……甲を上にしてね」
 何をしてくれるのかな、といった態を醸しながら片腕を胸元、片腕を控え目に差し出すトトリへと、私は片膝にて跪く。
 分かっている。今から私が行わんとする行為は決して確たる意味など含んだものではなく、良くやられる儀式のように、小面倒な決まりもなければしっかりと覚えていなくてはならない手順もない。いうなればままごとのようなもので、小さい頃にやったような、どこか胸の内にくすぐったく引っかかるような、そんなささやかな遊びの類だ。
 遊び。確かにそう、そんな児戯のようなものなのだけれども。
 私は眼前に留まるトトリの手を静かに取り、その柔らかくもしっとりとした肌触りに寸時心臓を跳ねさせながら、しかしそれもあっという間だ。 成すべきことを成さんと直ぐ様平静を取り戻す心持ちにて、しかし流石に口に出すのは憚られる。
 故に私は、胸の内にてそっと謳い上げることとした。


 あなたは、お姫様じゃないけれども、
 私にしても、そんなにも大層な分の者ではないけれども、
 それでもきっと、生涯を掛けて、私はあなたを守ってゆく。

 いつ何時、どんなことがあったとしても、
 不屈の、この身とこの心のあらん限り、
 不惑の、この身とこの心のあらん限り。

 私、ミミ・ウリエ・フォン・シュヴァルツラングは、
 汝、トトゥーリア・ヘルモルトの騎士となり、
 悠遠を共に歩んで行くことを、ここに誓う。


knight


 そうして私は眼前となるトトリの左手、その薬指に一つ控え目な口付けを落として、「ふぇ、」上から聞こえて来る妙な――悲鳴なのか何なのか――ともあれその声色を耳にしながらもたっぷりと一時を保っては、やがてゆっくりと離れる。
「な、なんでミミちゃん……ふぇぇぇ!?」
 そこまで至ってしまってはふつふつと湧いてくる少々の充実感と、同じくして気が狂いそうになる程の羞恥心に襲われる私なのであって、ともあれ自分でも驚く程の速度で以て方向転換を果たす。
 いやしかし、これは仕方がない。一体自分がどんな顔をしているのか知れたものではないのだが、しかし滑稽なことになっていることには違いなく、こんなの、トトリには見せられたものじゃあないのだ。
「さ、さあ、とっとと荷物をまとめて行くわよ!」
「え、ええ? ちょっと待ってよ、ミミちゃん、今のって……あ、いや、いいから、聞かないからさ、ちょーだい? もっかいそれちょーだい?」
「だー、うっさいわね! あんなんそう何回もホイホイとやれる訳ないじゃないの! 忘れなさい! 今すぐその記憶の中から抹消するのよ!」
「む、無理だよおそんなの。だって私、すごく嬉しかったんだもん」
「む……ぐ……」
 一体全体、どちらがたらしだというのだ。トトリのその一言であっという間に絡め取られてしまった私は気勢も削がれ、だからといってそう易々に応じる訳にもいかない。
「ねえ、ミーミーちゃーん」
 間髪入れずに腕を絡めて来てはおねだりをするトトリに、いや、しかし参ったものだ。
 普段はどうにもぼんやりしているというのに、いざ私のこととなるとこいつはどのようなことをすれば私が最大限に困りながらも、しかし確実に喜ぶかということを熟知している。
 それは彼女の内では理路整然と並べられた理屈ではないのかもしれないけれども、だからだろうか、決して外れることがない。現に私は嬉しさと狼狽の奔流に揉まれてはどうにかなってしまいそうなのだから。
「バカトトリ……」
 そうやって漏らすだけが精一杯の私に、しかしようやっと鳴りを潜めたトトリはさっきまでの悪戯な笑みから反転、滲み出るかのような慈愛の眼差しで、そう、まるでツェツィさんのようなそれで以て私を見遣って来るのだ。
「うん。私ってばかだから、ミミちゃんがずっと一緒についていてくれなきゃいけないんだ。ずーっと、ずっと、ね?」
 ああもう、これだからバカだというのだ。
 トトリのその何とはない一言に対して強く胸を打撃された私は、脇目も振ることなく自身の一生というやつをただひたすらこいつのためだけに費やしてしまってもいいんじゃないかと、そんな血迷ったことをふと本気で考えてしまって。
 しかもそれは一時の、気の迷いで浮かんでは消えるようなそういう類のものではなく現在進行形でそうなのであり、すなわち私は比較的冷静なのだ。しっかりと考えられる頭で以て、しかしその中身はトトリで一杯なのである。これを不覚といわずに何といおうか。
 ああいっそここまで自覚しているのだ。面倒くさい私のことだ、この先ずっといいたかったり、やりたかったりしても、きっと出来ないことがある。今でなくてはいけない。私は先のトトリに対し、何か気の利いた一言を渡そうと口を開いては、
「当たり前じゃないの、バカトトリ……」
 しかしついて出る言葉は相変わらずの私節なのであって、全くこんな時くらいどうにかならないものなのかと頭を抱えながら、やはりいつものように胸中は自省の念に飲まれるのである。
「ふふ、ありがと、ミミちゃん」
 それでも、そんな私の何もかもをやはりトトリは理解しているのであろう。実に満足気に応じるものだからもう、十分なのだろう。私たちはこれくらいのやり方がきっと丁度いいのだ。
「もういいから、行くわよ」
「うん」
 私が感じた区切りのようなものをトトリも感じていたのであろう、今度こそは噛み合わないということもない。各々の荷物を改めてまとめた私たちは不足ないことをそれぞれに認め合い、先の話の通りだ。川沿いからその先をひたすら目指すことを確認して、
「ね、ミミちゃん」
 そうしてニコニコと左手を差し出すトトリに寸時うっ、となる私ではあるのだが、しかし結局は逆らわずに取ることとする。本当に、こいつはこういうところが本当にズルい。
 私にしてもトトリにしても何をいうでもなく、しかし繋げられた手だけは離れないようにとしっかりと握りながら、一歩ずつを、今まで幾度となく重ねてきたそれらと同じように踏み出していくのだ。
 自由気侭なお姫様と、不器用な騎士の行程の先には、果たして何が待っているものだろうか。
 そんな、これからトトリと歩むであろう長い長い道のりに想いを馳せて。
 私は人知れず胸を震わせた。




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