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2011.01.29 (Sat)

friend(s) Part.3 Piece.3 (旧:けいおん! Part.5)

お待たせしました。けいおん!から6作目、唯澪としては4作目となりますPart.5をお届けいたします。
既に公開終了している1、2とは全く関係がありませんが、Part.3以降の唯澪からは完全なる続きものとなっております。もしよろしければそちらから読んで頂けますと思うところが増えるかと思います。

friend(s) Part.1 (同じ窓で開きます)

本編中ではお話が進むにつれて楽器的・音楽的な専門用語が出て来ます。
以前に作成した用語解説用のエントリに必要があればそのまま加筆を加えていく予定です。
不明な点がありましたらばこちらを参照下さい。また、素人なもんで間違えている解説などがありましたらご教示頂ければ幸いです。

用語解説エントリ (別窓で開きます)

長々と失礼をしました。続きから本編となっております。
どうぞごゆるりとお楽しみ頂ければと思います。

【More・・・】





 ――あれ、見たことのない色だ、な。
 そう、覚醒をした私がまず感じ取った違和は視覚からなるものだった。
 焦点と視野とが開き切らない目をぼんやりと開けていると、しかし人体というものは存外便利に出来ている。特段に何かしらの動作を行おうという気が非ずとも、私はただごろんと寝転んでいる、たったそれだけのことで目やら耳やら器官の方が一人勝手に目覚めを始めるのだ。
 果たして仰向いたままの私が一つ息をする度に、栄養の足りていない脳に順繰りと血液が循環されでもしているのだろうか。そんな些細な点に関する原理など無識の私には及ばないものだが、ともあれ波打ち、薄ぼけていた視界に色と線と、それらの境界線。彼ら情報群が次第に意味のあるものに、私が現実というやつを認識出来るようにと補正が掛けられていき、そうしてまた見渡しがよくなるに連れ、胸の内に軽く引っ掛かっている程度の態だった相違点はやがて確信的なものへと遷移してゆく。
 どうやら今こうして見上げているこの天井は、ここ数年の私が感じ慣れたものではなく、少し白味が強きに過ぎるのだ。寸時自らの機能不全をも疑ってみるものだが、そうだ、何も色覚だけに頼ることはない。天井に掛かる蛍光灯の形状こそは私の部屋に配置されたものと明らかに一致せず、こればかりは紛うこともないだろう。そこまで認めてはいよいよ、今いるここが自室ではないことに至る。さて。
 脳内における一人問答がそこそこに働くようになって来た私の頭だが、視覚の次は触覚が目覚めるのだろうか。全身が少し、いつもよりも多目に汗ばんでいるような感じがする。
 毛布の厚さそれ自体は私が普段使っているようなものと大して変わらないはずなのだが、さてどうしたものかなと、特に熱を感じては巡らせた私の右側。
「んーふふぅ……たまごかけごはん……」
 この上があるのかと、無上を疑わせもしない程に穏やかな寝顔を浮かべながら微睡みの舟を漕ぐ唯がしかと私の腕に絡み付いていた。これは、なるほど。暑い訳だ。
 種々の夢想を口から零す彼女について色々と思うところはあるのだが、それはそれと置いておき、私が次に巡らすのは左側。唯がこうしている以上、今の私の状況にはやはり間違いというものは非ず、そうなるとそこには憂ちゃんが収まっていなくてはならないはずなのだ。
 そう、そのはずなのだが、しかしそれがない。
 おかしいな、私はまだ半分が夢の中なのだろうか。そうしてふと無意識に時計を探すものだが、やはり起床後の私が反射で巡らす位置には掛かっていないもので、あちらこちらをぐるりと見遣ってはようやっと発見するに至る。私の部屋の四角とは違う、丸時計が示す時刻は午前七時二十三分だった。
 一体全体、いっそそれら全てが私の想定する状況に不合致となるのであれば、これを妄想や夢の類だと一端に切り捨てることも可能なのであろうが、ある程度はそうであってまたある程度はそうではない。
 夢と現が入り交じったかのような奇妙な感覚に揺られては、完全に身を起こしている訳でもない私であるというのに、足元からしてどうにも胡乱な気がして嫌なものだ。こんな意地悪をしなくたって、もう少し材料をくれたっていいと思うのだけれども。全くどうしたものだろうか。
 いよいよを以て判断つきかね、私が現実感というものに対し根本的な疑問を呈し始めたそのタイミングで、部屋隅の扉が開かれた。特段にそうする必要もないのかもしれないが、どうしてか強制力のようなものを感じた私は唯を刺激しないようにと静かに身を起こす。
「おはようございます。すいません、起こしちゃいましたか?」
 盆を手にした憂ちゃんはやはり足音を立てないようにと静かにスリッパを滑らせながらこちらへと寄り、テーブル上へとそれを一旦安置し。そうしたのちに、改めて湯気の立ち昇るマグカップを手に取る。
「澪さんはブラックがいいんでしたよね」
 てっきり唯の分もあるのかと思っていたのだが憂ちゃんの持ってきたトレーの上には二杯分しか非ず、それも未だ眠りこけている彼女の様子を見るならば――なるほど。これが的確であるのだろう。
「うん。ありがとう」
 未だ私の右腕に絡み付いて離れない唯をやんわりと引っ剥がしては身を起こし、憂ちゃんから両手に持っている内の片側、黒味が濃い方を頂戴する。
 もう片方は彼女のものであるのだろう。ミルクを入れたのか、深茶色の水面がゆらりゆらりと波打つその様に、隣の芝生は、と古人はよくいったものだ。特段そのような趣向がある訳でもない私なのだが、未だ覚醒し切らない胃の調子からしてみればむしろそちらの方をこそ欲しているかのような気さえして来るのだから。
 ともあれ戴くとしよう。口を付ける前に、こちらの調子も確かめることとする。眼前にカップを掲げては軽く深呼吸を一つ。すう、はあ、と大きく吸って吐き出したらば土と、そして植物の香りとが絶妙にブレンドされては掩われた、私の大好きなコーヒーの匂いが胸腔を一杯に満たす。ああ、これこそだ。間違いがない。
 ようやく訪れてくれた現実感というやつを精一杯に噛み締めながら私は一口含み。舌の上に広がる熱が、乾き気味だった口内へじんわりと染み入るかのようだ。上質な旨みの成分、それら一つ一つに丁寧に味覚を刺激されたらば、存分に味わったのちに喉へと落とし込む。
 あまりある至福についつい溜息が漏れてしまう。この歳になってしても、いや、むしろ歳を重ねる度に、であろうか。朝の目覚めというやつは布団にしがみついては延々と温かさと怠惰を貪っていたいような、そんな逃れ難い念に駆られては止まないものだが、それも今日は一味違う。目覚めようかあるいはと境界線を彷徨っているその丁度のタイミングで差し出されるブラックは、覚醒を促すに際してこんなにも効果的なものだったのだろうか。
 その、淹れたての熱と苦味と来たらまるで頭の中を優しく揉み解してくれるかのようで、私を無理なく覚醒の方角へと導いてくれる。嫌味などこれっぽっちも含まないのだ。
「美味しいね」
 余計は要らぬことであろう。何だかんだと起き抜けの身体に纏わり付く倦怠感との兼ね合いも考えてはシンプルに、されどこの点に関してだけは全霊を込めてして返す。
「えへへ……」
 果たして私の粗末な労いにしても彼女には満足頂けたようであった。料理をする人の気持ちというものは正直なところよく分からないものだけれども、自分が作ったもので他の人が笑顔を見せてくれる、よかったといってくれる――創作というカテゴリで括るのであればそれはきっと音楽にも通じるものがあるのではないだろうか。
 ものごとの感じ方、受け取り方というやつは人それぞれで、この感情についてももしかしたら私が単純であるが故、そのためのものであるのかもしれないが、ともあれそんな小さなことでも確かな喜びを感じられるものなのだ。他に気が回らない以上、せめて私がされて嬉しいことを彼女にもしてあげたい。いかにも偽善的な思考である気もするものだが、なに、どちらにしても悪いことなんてないだろう。このくらいはやらせてもらうさ。
「いつもインスタントばかりなので、たまには豆から挽いたのを飲んでもらいたくて」
「今日のはちなみに、パナマの豆なんです。よくいわれる評判では、味の方はそれなりって感じなんですけれども」
「ちょっと薄目に淹れるのがコツだと自分では思ってるんです。朝だし丁度いいかなって。お口に合えばよかったんですけれども」
 今朝のこの一杯についての仕事ぶりを披露してくれる憂ちゃんに、その節々でして私は返事をする。その気持ちは大いに分かるものであるし、何より平素よりも饒舌な様子の彼女がとても微笑ましく、こうしているとやはり歳相応であるのだなあと、失礼ながらそのようなところについついほっこりしてしまう。こういう時くらいは先輩らしさというやつを実感していたいものだ。
「んー、ういぃ……?」
「おはよう、お姉ちゃん。起こしちゃった?」
 釣られて振り返ったらば眠そうな態を隠そうともしない唯が、やはりいかにも眠たげな様子で目をごしごしとやりながら背伸びをしているところであった。大きな欠伸で、ふふ、口の中が丸見えなものでおかしくなってしまう。
「唯も一口どうだ? 私のはブラックだけど」
「飲むぅ……」
 そうして毛布から這い出て来る彼女の様はまさにアザラシそのもので、しかし本物と比べて決定的に異なる点を挙げるならば、情けなくも寒気に負けては打ち震える点であろうか。とはいえここ最近の冷え込みたるや尋常なものではなく、ありったけの暖房器具を総動員したとて不足の感が否めない唯の部屋では仕方がないものなのかもしれないが。
 とまれ覚束ない足取りながらも、私と憂ちゃんが集っているハロゲンの前に辿り着いた唯は両手の平を前にかざし、背中を丸めては震わせて、それを見た私は腕を回しては撫で摩ってやる。防寒的な意味合いからしてみると効果の程なんて高が知れているものだろうが、気分の問題というやつだ。
「ほら、まだ熱いから気を付けてな。あったまるよ」
 そうして私からカップを受け取り、両手で包み込むかのように大事にしながらちびちびとやる彼女の姿はリスか何かのようで、その様子があまりにも可愛らしいものだから知らず知らずの内にも見入ってしまう。何とも微笑ましい光景なのだがしかし、余地など幾らでもあるだろうに敢えて私が口を付けたところでそうするものだから、いやはや私の後方から彼女を眺めているであろう憂ちゃんがどういった心持ちでしているのかと思うと気が気ではない。こんなにも気の利く妹君のことだ、まさか気付いていないことなんてないだろう。やっているのはあくまで唯なのであって、その点に関してだけは誤解をしないで頂きたいものなのだが。
 「美味しかった、ありがとう」と、舌っ足らずな様子で私と憂ちゃんとに謝辞を述べる彼女からカップを返却頂いては早速、さてしかし、何だ。結局は私も同じところを含むこととして、ああいや憂ちゃんや、そんなに見ないでおくれ。だってほら、最初に私がここに口を付けたんだ。改めてあちこちにベタベタすることなんてないだろう? きっとそうだよ、そうに違いない。それ以外、他意なんてありはしないのだから。
 果たして憂ちゃんはどこに対して趣を感じているのか、まるでおばあちゃんのような懐の広さでして絶えず頬笑みを浮かべているものだから、私のような若輩者からしてはその内側などとても図り切れたものではない。参ったなと、照れを紛らわせるかのように私は口の中で転がすことをせず、熱いままの一口を一気に傾けては落とし込んだ。
 然して、
「何ていうかこう、ちょっと恥ずかしいことをいうようなんだけど」
 ぽつりと呟く私に注目をする平沢姉妹を認めては、私は続ける。
「幸せだなあ……」
 何だかんだと、ハロゲンとコーヒーとで次第に温まってきた私はいよいよを以て居心地がよくなってくる。特段に他のことをせずとも、ここでぼんやりと三人並んでうつらうつらとしているだけでも一日を過ごせてしまえそうだ。それ程までに平沢姉妹と三人で迎える休日の朝というのは魅力的であり、うっかりしていては今日もまた惰性で泊まり込んでは明日の朝までこうしてしまいそうだ。途轍もない吸引力である。
「ずっとこうだといいのにねえ……」
 未だ夢中を抜け切れない唯が呟くその一言は全くしてその通りなのだけれども、果たしてそれは願望なのか、あるいは諦観なのだろうか。おそらく無意識から発せられたであろうその言葉はいつにない含蓄を同居させており、図らずして私はこの、紙一重の上になり立つ貴さというやつを実感する次第となる。
 ――だからといってまあ、今この場でどうこうするということもないのだが。
 果たして憂ちゃんはそれについて引っ掛かりはしなかったようで、ぼちぼち朝食の準備に取り掛かる旨を伝えては階下へと向かってしまった。
 普段であれば彼女を追い掛け手伝いを申し出そうなものだと自身について思うものだが、私も大分唯に毒されて来ているのか、あるいは憂ちゃんに飼い馴らされては皆一様にこうなってしまうのか。ともあれ消極的なところから身動きを取れなくなってしまっている私には、彼女をそのままに送り出すその他の選択肢がすっかりと欠落してしまっていた。
 せめて何かに抗おうと。見当違いを感じつつもともあれ思い至って丸時計を眺めたらばその針は午前七時三十七分を指しており、何だろうか、斯様な間合いにおける時間というのは存外に早く流れているのが相場であると私の経験はいっており、その考えに倣うのならばてっきり今は八時を過ぎたくらいの塩梅であると思ったのだが。そう考えると憂ちゃんも丁度その節目で用意が完了するようにとのタイミングであったのだろう。
 手際に一切の不備がない妹君に対して、本来見本であるべき私たちは二人揃ってこうやって火の前で丸くなるばかりで。それも憂ちゃんが相手であるのならば仕方のないことなのかなあと、短絡的且つ退廃的な思考が中心に据えられつつある現状に多少なりの危機を抱きながらも、それでもこの部屋は楽に過ぎるのだ。とてもじゃないが抗えたものじゃあない。
 押すも引くもままならぬ私が悪循環に悶えている内、こちらもお目覚めなのだろう。改めて私の左腕に絡み付いては斜め下から、上目遣いにて愛嬌を振り撒く唯が、
「おはよう。澪ちゃん」
 果たして私は彼女ら姉妹を一度に手にした幸福人なのであろうか。
 あるいは彼女ら魔性に囚われては、加えて自らが隷属となってしまっているその状況にすら気付けずにいる憐れな虚け者なのだろうか。
 とてもではないが断ずることの出来ない私は、
「ああ、おはよう……」
 両手でしても余る量の甘味を前に、ただ押し潰される他にない。
 そしてそれは、少なくとも今の私にとっては万福に違わぬ文なのである。そう、誠以て、抗い難いことに。


「そういう訳でどうだろう。前にもちょっとだけ話したけど、私はやっぱり先日のグループでもう一曲ずつ作ってみたいと思うんだ」
 カップから立ち上る馥郁たる香りを部屋中に充満させながら、私たちが集うのはやはり放課後の音楽室である。
 今日も今日とて放っておいては直ぐにでも脇道に逸れてしまうオデコから進行役を奪取し、生産的に展開させることこそが私の使命といっても過言ではなく、それはやはりこの日頃においても相違ない。しっかりと機能させなくてはならない務めである。
 おいては、本日のお題とすべくはやはり作曲の件であろうと思う。本意、他意含め近頃の私にとっては最も重要な案件であること間違いなく、前回の作業を終えてからぼちぼちとスパンも空いたものだ。なあなあにしないためにもそろそろ掘り返さなくてはいけないと思っていたのだ。
 果たして皆にしてもその気であったのだろうか。私の振りに対しては各々から矢継ぎ早に意見が上がる。
「私はすごくいいと思うわ。前のやつもそうだったけど、皆で一緒にやってると何だかワクワクして来るものね」
「私も異論ないです。入部してからそろそろ一年くらいが経ちますけれども、何だかようやく来てくれたって感じがして嬉しいです。やっぱり、流石澪先輩です」
「あずにゃんがやるなら私もやるー!」
「うわっ、ウザっ! ウザいです唯先輩離れてください抱きつかないでください主体性を持ってくださいー!」
「な、何だ何だお前ら皆して。まるで私が悪役みたいじゃないか。こうまでしちゃうと部長としては何としてでも逆らいたくなってくるよな。なんかこう、パンクな感じでガツンと一発さ」
「いやいいから、誰もそんなこと求めていやしないから」
「連れないなあ、澪さんや」
 重苦しい様相で案に掛けなかったのが正解であったのかもしれない。各人からの応じを聞く限り皆一様に乗り気のようで幸いである。
 それでも私はふと、やはり気にはなるものだ。ムギの方へさり気なく視線を送ってみるものだが、当の本人は敢えて外しているのかはたまた本当にそのようなタイミングであったのか。交わることなく過ぎては、まあ仕方がないことだろう。
「グループ分けもどうだろう。前回のメンバーでやるのが大分こなれて来ていると思うから、私としてはそのままでやるのがいいかなと思うのだけれども」
 ともあれこの流れならばと続けて提案をしてみるものだが、どうやらこの仕分けについては私の想定よりも各人共に慎重であるらしく、否とはいかずとも、即断するにしても何か一つ決定打が足りていないかのような態であった。
 私と唯は問題がないにしても、普段があんな調子の律も梓としっかり意見を交換しているというその光景は、あくまで今この場限りで見るのであれば芳しくない流れではあるのだろうが、しかし今までのだらけぶりに対して常々危惧の念を抱いていた私からすると喜ぶべきことなのであって――思い付きから始まっては半ば私欲のために用いてしまっている私は、どうにも良心を司るような部分に圧を掛けられているかのような念を覚えては止まない。
「うん……私たちも大丈夫だと思います。いいですよね? 律先輩」
「梓にそうまでいわれちゃ仕方ないよなあ」
 またそうやって人任せな、と詰め寄る梓と、既にこの小さな後輩に頭が上がらないのであろう、腰も低く応じる律らの雰囲気を見ている限りには、些事はともあれ概ねが大丈夫そうだ。何だかんだとしっかりと飲み込んだ末に寄越してくれた彼女らの返答なのであって、軽いものではなく、責任とを併せて受け取っても差し支えないであろう。
 私はそこまでしてようやくムギと視線を交える。今度は先程のように合えばいいな、ではなく相互の理解を確立する、そのための意気である。
「私もOK。ふふ、また皆と一緒に頑張れると思ったら何だか嬉しくなって来ちゃった」
 そう語る彼女には何ら裏など感じられず、しかし何とも真っ直ぐなものだ。諸々が私の杞憂であるかのような気さえもして来る。
「ありがとう。ムギには前回みたいに、また途中で鍵盤のヘルプを頼むことになるかもしれない……というよりもきっとそうなっちゃうと思うんだ。その時はまたお願いしてもいいかな?」
「勿論。遠慮なくいってね」
「またムギちゃんと一緒に出来るね。頑張ろうね!」
「はーなーしーてーくーだーさーいー!」
「あらあら、うふふ」
 いつの間にか梓の首元をロックしながらこちらへと混じってくる唯にしても納得頂けたようで、ともあれ一案は結ばれたものだろう。うしろ髪に頬を擦り付けられては腕を振り回して拒絶する後輩と抑え込む先輩の、いつも通りの光景を肴に一杯をやらせてもらうこととする。
「ああ、それはいいんだけれどさ、澪」
 どこかこの流れを断ち切るのが申し訳ないといった情を含ませて律が声を上げる。さて、こいつにしては珍しい雰囲気だなと、私は傾聴でして備えていたらば、
「こっちの方はまた澪のボーカルで作っていいよな? 実はちょっとアイディアがあってさ」
 話の前半分に対して即座の否定を割り込ませようかとした私を、流石は幼馴染とでもいうのであろうか。残りの半分にしてそのようなことを展開されては私としても否定し辛いものがある。が、果たして本当に案などあるのだろうか? まずはそこを確認してからでも遅くはないだろう。
 私は目線に真偽の如何についてを含ませては梓を見遣る。対する彼女の様子を見る限り、ああ、どうやらそのようだ。今回にしても私に逃げ道というものはないらしい。
「澪先輩にとっては残念なお報せになるのかもしれませんが、本当です。前回の曲とはコード進行やテンポとかが似たような構成になるんですけれども、今回はギターのユニゾンだとかソロだとかそういうところを前面に押し出してみようかなって思ってたんです」
 彼女の具体性溢れる解説を聞くに連れては頼もしさを感じる反面、まるで最終判決の例文を無慈悲にも読み上げられている被告になったかのような気分だ。いやそんな、訴訟など起こされたことはないのだけれども、きっと彼らもこのような気分でして上からの声を賜っているのではなかろうか。
「実はその、先日新しいエフェクターを買っちゃったんですよね。ピッチシフターなんですけれども、ちょっと変化球な感じで攻めてみようかなって思って。色々と試している内にいいフレーズが浮かんじゃったんです。唯先輩のレスポールならハムで音も太いですし、きっといい具合に叫んでくれると思うんですよ。澪先輩のボーカルに是非とも添えてみたいなあって」
「まあまあ、梓。嬉しいのは分かるが実際に作ってから澪と唯には披露してやろうぜ」
 「それもそうですね」新しい玩具をつい自慢してしまいたくなったという彼女は、私情を引っ込めては改めて私に是非を問う様子を送ってくるのだが、ああもう。こうまでキラキラとした瞳を上目遣いにやられては断ることなんて、私に出来る訳がないじゃないか。
「分かったよ。私の負けだよ……」
「ッシャーイ!! ゴレンジャイ!!」
 私からその発言を引き出したのがどれ程嬉しかったのか、あるいはこの一連の幕もあのオデコの差し金なのではなかろうか。ノリもノリに会心の笑みでしてウンツツウンツツとエアドラムを始めるその様子を見ていると、確かに律に非というものはないものだが、同時に私のこの釈然としない気持ちも抑えられそうになく――というよりも何だ、ええい、調子に乗ってクラッシュを叩き過ぎだこのオデコ。実際に聞こえる訳でもないのだがその上機嫌っぷりがこちらとの温度差を感じさせては、いよいよその艶やかな額に一撃をくれてやろうかといった私をしかし敏感に感じ取ったのか、梓ががっぷりとホールドしては抑えに掛かり。止めないでくれ、梓。私にはやらなくてはならないことがあるんだ。そうして着々と怒りのボルテージを上げていく内心ではあるのだが、果たしてどうして私は失念してしまっていたのだろうか。どこまでも空気の読めないやつがこの軽音部にはもう一人存在するというその事情を。
「あー! あずにゃんずるーい! 私も澪ちゃんにそうするんだから!」
 宣言しては、前から抱きつくのが梓であれば唯はうしろから私に絡み付いてくる。この一連の流れを全く予期することの敵わなかった私はあっという間に気勢を削がれるのだが、いやそれも、どうしようもないことだと思うのだ。やっつけようがないじゃないか、こんな。
「ふふ、澪ちゃんったらモテモテで羨ましいな」
 そうしてトドメをくれたのは誰でもないムギであって、改めて彼女ら二人に囲われたこの状況というやつを理解した私の拳は完全にいき場を失ってしまう次第となった。気力も何もかもを持っていかれてはもう好きにしてくれといった態である。
 溜息を一つ。
「ともあれ、こっちはこっちで唯をボーカルにして作ることにするよ。今回は特にそうだな、期間とかも設けることはしないけれども、皆も大丈夫だよな? 律だけなら心配だけれど、梓とムギもいるし、変に怠けるってことは」
「ドンと任せておいてください!」
 どうやら、そんな些細な憂慮など無用であるようだ。新たな機材を購入したという梓はいつになくご機嫌に応じてくれるもので、この様子ならば不安要素であるあのオデコのこともビシビシとしごいてくれることであろう。
「じゃあ梓とムギは、頼んだよ。ドラムはうんと難しくしてくれていい。何なら四分間を休みなくフルで16ビートにしちゃうとか、足が痙攣するくらいにバスドラを踏ませるとかさ」
「お前は私を殺す気か!」
 一人で素振りをしているのもいい加減に虚しくなって来たのだろう。西日を眩しく反射する我が幼馴染の突っ込みに関しては目を細めながら軽く流しつつ、段取りについてもこの辺りで満足だろうと思う。
 一つ、大きく頷いては改めて席へと掛け直す私に一同も倣っては腰を落ち着ける。
「お茶を淹れ直して来るわね」
 最後の晩餐、という訳でもないのだが、ともあれまた暫くは別行動となるのだ。お茶を戴きにしばしば顔を出すことくらいはするだろうけれども、最初からこうして揃ってテーブルを囲うのも、次は各々のグループの新曲が完成してからということになるだろう。
 ふと、こうして面々が全員でして集うというこの習慣は、いつの間にかその行為が本来含むべきこと、それ以上の意味合いを持つに至ったのだなあと自覚をする次第と相成る。
 放課後ティータイム――先生はまさかここまで考えて命名した訳でもなかろうが。
 そうしてどこか得体のしれない大局観に想いを馳せては浸る私の前にカップが差し出され、こちら側へと引き戻される。見上げたらばいつもと変わらぬ笑顔のムギがおり、どうやら私のこれが最後の配給らしい。礼をして受け取る。
 決してそう、私がなすべきことが私だけのためという狭隘な範疇に収まってしまわないよう、やはり私は自覚をして自身をしっかりとコントロールしていかなくてはいけないのだろう。今この時こそは、それを強く感じる。
「ムギ」
 一言二言ではとても伝え切れないような、覚悟ともまた違ったものだ。とにかく何か途轍もないエネルギーの充満を感じた私は、他はどうあれ、どうしても彼女にだけは声を掛けずにはいられなかった。
「頑張ろうな」
 何をして頑張るのかと、彼女からすればそれら目的の類がまるっきり抜け落ちてしまっているような私の宣言に対しては、逆に何もかもをそうするのであるといった風に取る以外にないと思うものだが、ムギにしてもこの私に近い意気を感じてくれているのだろうか。触発をされた感を醸しては、
「うん」
 ただ短くそれだけを。しかし、それで良いのだ。
 さて、いよいよ日和見などは効かなくなった。
 唯と一緒に作っていくのだ。何もかもが完璧になどとはいわない。私のことだ、彼女と二人でいるとして、その悉くを作曲に費やすことなど出来やしないだろうが、私は唯といても出来るのだと、唯と一緒にいてもいいのだと、結果でして示してやりたいのだ。
 この気持ちもやはり私欲であるのだろうか。しかしまあ、そんなの意味の囲い方それ如何でどうにでもなってしまうものであろう。大事なのはどのような形にして私がこの問題をまとめ、どのようにして軽音部一同にそれを示すのかである。
 本質などというものはそう易々とその性質を変化させるものではない。私がするべき仕事はその本質というやつが含む意味合いを、彼女らと、そして私たちに都合がいいよう、互いに刺となるような問題を吸収しては提示することなのだ。
 それも、唯と一緒に、唯といるためであるというのならばきっと上手く出来ることだろう。そうでなくてはならない。
 意気込みを独り静かに高めてはカップを傾け、喉を潤すのもそうであるのだが、ムギの淹れるお茶はささくれ立った私の心にさえも適度な湿りを与えてくれるかのようだ。本当に旨い。この先も彼女のお茶は、こうして美味しく戴けるようにしなくてはならない。
 そうして間もなく私たちの茶会はお開きとなり、以前のように各々のグループに分かれての作業を行う次第となった。私と唯は従来通り唯の家でやる旨を伝えてはそれぞれの楽器を背負い、音楽室と、そして校舎とをあとにする。
 しかし、外の風は冷たいな。
 学校の近くでは手を繋ぐことも身を寄せることも敵わず、私はコートの襟元を締めては改めて羽織り直す。唯の部屋へと急ごう。
 寒気に身を震わせる、私よりも一回りは小柄な彼女を置いていくことのないよう気を払いながらも、私は気持ち足を早める。
 それでも、ほんの少しではあるが陽は長くなったのだろうか。果たして実際のところは知れたものではないが、私のためにも唯のためにも、早いところ春が来てくれると嬉しいものだが。


 それは何とはない雰囲気であるとか、あるいは端々に染み付いた匂いだとかに因るものなのだろうか。つい先日に泊まったばかりだというのにどこか恒常感を覚えるあたり、私の胸の内においては根拠地、とでもいうのだろうか。斯様な存在たり得る部屋は自室では非ず、既にこちらへと移ろってしまっているのかもしれない。
 ともあれ私は壁際に添えられていた携帯用スタンドを展開し、ケースからエリザベスを取り出してはひとまず安置する。ベースだけに関わらず、楽器というやつは気温や湿度、陽の照りなどの変化でして直ぐにネックやら何やらが不機嫌を起こす繊細な生きものなのだ。今のところは外気温とさして変わらぬ唯の部屋ではあるが、暖房を点けたり飲みものを入れたり、そもそも私たち人が室内にいること、たったそれだけのことで種々の環境は目に見えぬところで変化しているものだ。一気に移したのであればびっくりしてしまうことであろう。こうやって場に晒しては徐々に慣らしていかなくてはならない。
「唯のギー太も、出しておくよ」
 ギグケースをベッドに立て掛けてはハロゲンとポットの準備に取り組んでいる彼女のレスポールにしても無論、同様のことがいえる。彼女がそちらをやる代わりに私がこちら。半端に仲がいいだけでは出来ないであろうこのような連携をこなしていると、私もすっかりこの部屋に馴染んだものだなと感慨を抱いてはそこはかとなく嬉しくなってくる。無邪気に応じを寄越す彼女の声がどこかくすぐったいながらも心地いい。
「カップは下に置いて来ちゃったみたい。お菓子もついでに取ってくるね」
「分かった。準備はこっちでやっておくよ」
「うん、ありがと」
 唯が扉を開くと廊下側のひんやりとした空気が瞬時、室内へと流れ込んで来ては背筋を震わせて――私ですらこうなのだ、この子らはしっかりと手入れをしてやらないといけない。
 そうして急激な温度の変化を嫌った私は暖房とは対極の位置、なるべく離れたところに彼らを退避させては続いて出音側の用意に取り掛かる。
 この部屋で作曲をし始めた最初の頃こそは生音や、時偶は小型のアンプでやっていたものだったが、やはりエレキの楽器なのだから電気を通わせなくてはどうにもいけないという結論に至った私たちで、季節柄も丁度よかったのだ。親戚から頂いたお年玉を寄せ集めてはコストパフォーマンスを念頭に置き、二人で室内練習用の機材を買い足したのである。
 コンセントから生える延長ケーブルに二本のプラグが挿さっていることを確認しては、唯のギー太を黒色の、私のエリザベスはフロアタイプのチューナーを経由させてから赤色の箱へとそれぞれシールドにて結線し、電源を投入する。この赤いやつと黒いやつが件の新機材、マルチエフェクター、あるいはアンプシミュレーターと呼ばれるものだ。
 エレキギターやベースというやつは楽器本体から、必要があれば何らかのエフェクターを通したあとにアンプへ接続して音を出すというのが専らの使い方だが、如何せんそこから発せられる、多少では済まされないレベルの音量が周囲へ及ぼす影響などを考慮すると、いつでもどこでも気ままにアンプで練習をする訳にはいかない。もどかしいものだが、これが狭小な土地に家宅が犇めくように乱立する日本の住宅事情、その点における限界というやつなのだ。
 勿論、一般家庭とはえそれなりに防音効果のある壁で囲ってさえいれば音量を絞って出来ないこともないのだが、私の経験上、ボリュームの大小それ如何で作成した音の聞こえ方というやつには大きな違いが生じてくるものだ。そのため、可能なのであれば半端にやるよりは普段から音楽室などで大音量にてこれら機材は使用してやるのが一番なのである。その方が本番のステージで、こんな音を作ったつもりではなかったのに、といった態の違和感を覚えずに済む。
 が、まあ現実的に、そうそう練習したいタイミングで音楽室やスタジオに入ることが出来るのかと問われると決してそんなことはないだろう。休日だとか、部屋の中で何かをしている時にふと触りたくなった時とか、あるいは今回のように唯の部屋で作業をしなくてはならない必要性が生じた時だとか、思うとそういう状況は多々あるものだ。
 そんな時こそが真骨頂である。これら問題に対し良質なヘッドホン出力を備えている本機材は、何かと不都合な音量関係の面倒をスマートに解消してくれるという訳だ。この点についてのみ考えたとしても、購入して得た恩恵は余りある。
 その他、むしろこちらこそがメインの機能であるのだが、コンパクトエフェクターで一々揃えていては大変な値段になってしまうような各種機能を含んだエフェクター群が、この箱たった一つで済んでしまうというのだからこれもやはり美味しい要素の一つである。
 勿論、モデルとなったそれらオリジナルのアンプやエフェクターに対して一部の機能が削がれていたり、シミュレートされた音質が劣化していたり、そもそもの音の傾向が見当違いであるということもままあるものだが、それを差し引いても結局は魅力的な機能性なのだ。必要なところだけを都合のいいように取捨選択するセンスさえあれば、この諭吉二枚分にも満たない機材一つで大概のことはやれてしまうのだから。
 ただ一点だけ難点を挙げるならば、このマルチエフェクター本体にもチューナー機能は内臓されているのだが、これの感度が劣悪な点であろうか。
 何せ出音に対しての反応が鈍く、ペグを調整している内にもあっちにいったりこっちに来たりと、全く信用を持てたものではない。この手の機材に含まれているものは全部が全部こうなのだろうか? あるいは私が外れを引いただけなのかもしれないが。
 ともあれ唯に関しては耳だけで合わせられるものだからいいのだが、残念ながら私はそうではない。そのため、ついでだしと一緒にフロア据え置き型、エフェクタータイプのチューナーを購入した訳だ。
 ちなみにこちらはお試しといった具合で手に取ってみたものだが、しかしいい。
 ヘッドに取り付けるタイプのものだと、チューニングの最中にも出音がダダ漏れになってしまうものだが、私が購入したものはチューニングモードをアクティブにするとその先への信号出力が遮断される。すなわち曲と曲との合間などで軽く音を直したい時などに、MCを邪魔することなくフットスイッチ一つで手早くその作業を行うことが出来るのだ。今までの私が掛けていた手間からすると、この利便性は革命的なものである。
 その他、シルバー基調の本体に黒下地の出力画面など見た目に関しても――というよりも何だろうか、この手のチューナーを買うのは初めてだったために正直なところ見た目を重視して選んだ私で、その点については一切の不満がない。精度の方も悪くはないし、変に音が痩せることもない。やや値は張ったものだがこれに関してはいい買いものをしたと思っている。
 さあ、ともあれ起動だ。簡素な液晶に各々がメーカーのロゴマークを映し出した数秒ののちに、画面はそれぞれの機器に備えられたインタフェースモードへと遷移し、使用準備が整う。どうやら唯はまだ下にいるようだし、今の内にチューニングだけでも済ませておこう。
 胡座をかいて構えてしまっては再び立ち上がるのが面倒になってしまいそうだ。右を膝立ちにし、左脚を台座にしてはエリザベスを構えてチューナーのスイッチを押し込む。
 4弦側からいつものように、爪弾いてはペグを捻り、爪弾いてはペグを捻り。そうして左右に振れては赤色に灯るランプが中央に収まり緑色になれば完了だ。1弦までをこなしたのちにハーモニクスでも確認を図り、よし。
 そうして一通りの所作を終え、彼女を再びスタンドに戻そうとしたらばどうやら唯の方もお戻りであるらしかった。廊下からの足音が聞こえて来ては、おそらく両手が塞がっていることであろう。部屋の近くまで迫った気配を感じた辺りで扉を内側に引いてやる。
 やはり目の前にてありがと、とする唯にこちらこそだ。応じては室内に招き入れて扉を閉める。
「今日のお菓子はホワイトチョコのクッキーみたい。憂ったら気が利くなあ。私、これ好きなんだあ」
「いいねえ」
 盆を置いてはいそいそとカップの準備に取り掛かる唯に、この度の準備は任せることとしよう。私は私でノートを開き、エフェクターのプリセットを回し、そちら側の準備に取り掛かることとする。
 ヘッドホンを耳に近づけながら、出音の感触に違和感がないことを確認しているその内に唯の方も準備を終えたようだ。予め入れていたインスタントの粉を沸き上がったお湯で溶かしては、鼻歌交じりにかき混ぜたのちに差し出してくれる。
「ありがとう」
 礼を述べては軽く一口啜って、さて。時間的な制限がないとはいえ、あちらのグループとの完成時期に大きな差が開いてしまうことはどうにか避けたい。私も唯も効率を上げてはしっかりと作業の形を作っていかなくてはならないことだろう。
 私はクッキーを一つ手に取りながらノートを開き、既にやる気であることを提示する。何せ怠け者の唯のことだ。まず一息、という剣呑が非常に宜しくなく、しっかりと私がリードをしてやらなくては直ぐにでも果てのないだらけぶりを発揮してしまうのだから。
「今回はどういう曲調のを作ろうか。向こうがやる予定でいるのが前の曲に似てるっていうことはかっこいい感じのに……なるのか? だとすると私たちは少し違うようなやつにしたいよね」
「私、今度は早いのがやりたい!」
 ノートを目の前にさてどうしたものかと思っていたところに、しかし即答でして唯が述べる。てっきり、そんなにもポンと案が出てくるとは思っていなかったものだから虚を突かれたような態となる私なのだが、さていつものノリだ。私はまずこの抽象を具体的にしていくことから始めなくてはならないだろう。
「早いったって、一体どんなのさ」
 苦笑いを隠せず返す私に、流石に自身の器量というやつは唯も把握していることであろう。メタルのようにザクザク刻みまくりの、ソロではピロピロとぶっ飛びまくりの、まさかそんなものを想定している訳ではないだろうけれども。
「えっと、何ていうのかな……上手くいえないんだけどね、毎日お茶を用意してくれるムギちゃんや、いつも可愛いあずにゃんにね、感謝の気持ちを込めたような歌を作りたいんだ。そしたらもうぶわーって歌詞が溢れ出して来ちゃって。こんなのもう、一杯一杯に詰め込まなきゃとてもじゃないと収まらないよきっと!」
 そうして意気揚々と語る唯は、もしかしたら案を持っているという梓以上に密度の高い情報をその頭の中に収めているのかもしれない。無根拠に自信満々で上手くいかないことも多々ある彼女ではあるのだが、今回のこれは何というかその、そういう無実なものとはまた一味違ったような熱を感じるのだ。
 平時とは違う彼女の貫禄にそこはかとない頼り甲斐を覚えつつ、それでも。これだけはどうにも引っ掛かって仕方なく、私はついついと零してしまう。
「わ、私は……?」
 鼻息も荒くふんふんと盛り上がっていた様子の唯は寸時その鳴りを潜め、何がそんなに面白いのか分からないが一面を破顔させてはわざわざテーブルを回ってこちらまで立ち膝にて。直後に私はまるで梓のような、専用のぬいぐるみにされてしまった。
「もお、澪ちゃんはいっつも可愛いんだから。そんな心配はしなくてもいいんだよ! おお、よしよし。かわゆいかわゆい」
 馬鹿にして、だとかそういう念も決して湧かなかった訳ではない。それでも、それ以上にダメなんだ。唯にこうされてしまってはまるっきり絆されてしまって、私はあっという間に彼女のペットか何かのような態と相成ってしまう。
「わ、分かったから。もういいから」
 それでもまたいつ来るであろうか分からない憂ちゃんに見られては堪ったものではない。素っ気なさを気取っては好意の塊を無理矢理に引っ剥がす。どんなに私が強固な決意をしようとも、こんなに近くにいられてはそれらも全くの役立たずなのだから。ひとまず距離を置かせてくれ。
 とまれ他方を混ぜようと。何かいい案はないかと頭を巡りに巡らせて――そうだ。私にしては珍しく、前にここで面白いことをいっていたではないか。ウィットに富んでは質のいい予定調和というやつを放っては、この場は凌がせてもらうのだ。
「でも何だ、その理屈だと律はどうなるんだ?」
 私が上げたセンタリングへとさもおかしそうに頬笑む唯の表情筋に釣られては、逆らおうというのに全く私も同じようになってしまう。二人してもう、おかしいのだから。
 果たして唯は意気も揚々と口を開いては、
「りっちゃんはオマケです!」
「くっ……!」
 そこまでしてはいよいよを以てもうダメだ。控え目にだなんてことが敵う訳もなく唯も私も腹を抱えて大笑いをしてしまう。我が幼馴染ながら何とも不憫なオデコではあるが、まあいいさ。少しの間、本人も知らぬところではあるがこうして私たちの間の緩衝を努めてもらおう。何、礼ならあとでさせてもらうさ。きっとあいつも許してくれる。
 直ぐ様に切り替えようと思ったがどうにも上手くいかない私は、仕方がない、少しだけこのぬるま湯に浸っていることとする。この度に関しては唯の中から溢れ出さんばかりの情報、その一端を引き出せただけでも十分な一歩に違いないのだ。急ぐべきではあるが、決して焦らずにいかなくてはならない。
 そう切り分けをした私はインスタントを一啜りし。先日の朝のようにはいかないが、こうやって放課後に嗜む即席の味も全く悪くない。どこか一つ足りないこの感がその先にある何かを期待させてくれるのかもしれない。
 そうして絶えず甘えながらも茶々を入れてくる唯と暫くの間を過ごし、それもやがて魅惑を振り切るよう、ブラックを喉奥に落とし込む。意志薄弱な私にとっては切り替えが何よりも大事なのであって、一方のみに傾いてしまわぬよう、いずれにせよやるなら終わってからでなくてはいけない。お楽しみは最後の最後に取っておくことと定め、よし。
 私は利き手にペンを取ってはノートに手を添える。
「始めよう」
 提案に、小時残念そうな顔色こそ浮かべるものの、しかし結局は素直に頷いてくれる唯である。
 いい子だ。


 早い曲、と一概にいっても様々なタイプのものがあると思う。
 例えば単純にテンポの早い曲だ。BPMでいうと190を超えるようなものになると、これはもう黙っていてもスピード感のある曲になってくることだろう。
 シンプルに疾走感などを出すにはコードの進行を連打するような譜面にて、ここから200辺りのテンポが調度いい具合に感じる私だが、それも、そんなに早くしてしまっては再現性の問題なども発生してくるかと思う。今回はギターのソロを取り入れるかどうかが未定であるが、梓はともかくとして唯に関しては作りましたが本番で弾けません、では少々格好が付かないというものだ。
 だとしたらテンポは遅めに取り、進行の刻みに時たま16分を混ぜるようなものの方が無難になるのだろうか。自由度という意味でも明らかにこちらの方がやりやすいだろうし、歌詞を詰め込むことも考えるとどうだろうか、私としてはこちらを推したいものだが。
 この旨をざっくりと唯に提案してみると、
「私もテンポは普通くらいのを考えてたなあ。前と同じか、もうちょっとゆっくりなくらいでもいいと思うっていうか、そうしないと私が歌ってる最中に舌噛んじゃいそうだよ」
 全く以て違いがなく。苦笑いをしながら私はノートに『早さはふつう』とメモを残す。
「あ、でもね、ギターはちょっとザクザクやりたいと思ってるんだ。私ってほら、声が澪ちゃんみたいにかっこよくないからさ。それを逆手に取ってね、キツめのフレーズにしてギャップを狙ってみたいなあって」
「いいけど、弾けるのか?」
「私がダメならあずにゃんが!」
 笑いを堪えるように、鼻から息を漏らしながらも私はノートに再び手を走らせる。『ギターザクザク、難しいところはあずにゃんが』。
 ――と、ついついそのまま書いてしまったものだが、私があずにゃんだなんてちょっと違和感があるような気がするというか何というか。普段は出来ないものだからメモの中だけでもやってみたくなってしまったのだろうか。そんな些細なところへもどこかくすぐったいような新鮮味を感じてしまうものだが、さてそれはそれだ。
「ベースの方はどうしようかなあ」
 前に作ったやつはベースのラインが割と目立つような曲調であったために、その辺との兼ね合いも考慮しなくてはならないと思う。勿論、全体のバランスがよくなり立つことを前提に据えてだ。その上で今回は唯と梓のギターをメインに添えるような曲調に仕上げてみてはどうだろうか。
「コードの連打っていうようなシンプルな感じじゃなくて前みたいにちょっとアレンジは入れるけど、基本的にはギターの二人を軸にしてみようか、今回は」
「澪ちゃんがそれでいいなら」
 ならOKだ。話の流れも流れだし、ドラムと鍵盤についてはひとまず棚に上げておいて、この調子で私たちのパートについてだけでも漠然とした方針を決めていくこととしよう。
 「あれをやってみたい」それはいい案だね「それならこれも」いやそれは無理だと思う「それならこれは!?」何だか脱線して来てないか「もお、だったら澪ちゃんも何か出してよー」ああ、分かったよ、今考えてる最中なんだ。
 唯が提案を投げては私が受けて砕いて飲み込んで。今後のためになる余地のあるものならば次々とメモを残して取り入れていくが、そうでなければバッサリとやらせてもらう。不採用案も多いものだが、こうして次々とアイディアを出してくる彼女の姿勢は正直なところ助かるものだ。私のような性格をしていてはいいか悪いかを悩み過ぎるばかりに、そもそも次の一手がなかなか出て来ないところではあるのだが、こういう初手の段階では様々な可能性について投げては転がし、論じてみるのが効果的であると思う。
 何せほら、自分自身のちっぽけな固定観念だなんて他人からしてみれば何の役にも立たない事項であることが少なくはないのだ。仮にそのもの元来が駄目だとしても、少し目線を変えて考えてみたり工夫を凝らしたりしてみる、たったそれだけのことで途端に使えるものになったりすることも多々あって――と、私にしてもここまで至ってはいるのだが、どうしてブレーキが掛かってしまうものだろうか。こういう時ばかりは多少なりとも唯の横紙破りなスタイルを取り込めたらと思うものだが。
 とまれ、人間そうそう簡単には変われないものだなあと、この世の造りと人の心のなり立ちについて心中で無情を叙している内にも唯は次々と案を挙げ、偉くなったものだなあと分不相応を自身に感じながらも私はそれら一つ一つについて採用の可否を断ずる。それをどれ程に繰り返していただろうか。
「とりあえずはこんなものかな?」
 走り書き故に大小まばらな字が踊り狂っているような様となっているが、A4ノートの両開きにびっしりと書き込まれたメモを見遣っては、歌詞とはまた違うから推敲、ではないか。とにかく一次審査を通過した彼らについてもより掘り下げたチェックが必要であろう。
「結構出たねー。っていうかあれ、私こんなこともいってたっけ」
 よくいえば感覚派、悪くいえば適当な唯らしい発言に苦笑を隠せない。まあ、いいんだ。唯は唯らしくそうであって、私は私らしく臆病なくらいで、それくらいの方がバランスがいいに違いない。
「唯のお陰で沢山アイディアも出て捗ったし、少し休もうか。一息入れながらちょっとずつ詰めていこう」
 それほどでもぉ、と砕ける唯を傍目にやりながら先程は彼女がやってくれたものだから今度は私が用意をしよう。粉を入れてはお湯を掛けて、加えて唯の方にはスプーンで砂糖を二杯。底辺にざらりとした個体の感触がなくなるまでかき混ぜたなら、さてあっという間に出来上がりだ。
「はい」
「ありがと、澪ちゃん」
 わざわざ名前までは呼ばなくてもいいものだが。恥ずかしげもなく出来る唯のこういうところは素直に羨ましく感じてしまう。相手に対する自身の好意というやつをストレートに伝えるに際してこれ程までに効果的な振りもそうそうないもので、そうは分かってはいるのだがキャラだとか何だとかそういうところに責任の所在を求めることも結局は逃げのようなものになるのだろうか。いずれにせよ私がやるには少々難易度の高い振る舞いであることには違いなく。
 無意識に、気分を切り替えようとでも思ったのだろうか。窓際に視線を送ったものだが、十七時を疾うに回っている現在は既に夜の帳が下り始めている時間帯であって、私が気付かぬ内に唯がそうしていたのだろう。カーテンによって遮られてはそれも敵わずに終わる。
「そういえば今日は、憂ちゃんはいないの?」
 息苦しいだとかそういうことはないのだが、外界からの干渉がまるでなかったのだなあと本日の作業を振り返ってみては、ふとそんなことが口を衝いて出てしまった。
 何というべきなのだろうか。そうそう毎日という訳でもないのだが、お茶を淹れたりお菓子を持って来たりと訪れてくれる彼女がいなくては、この部屋はこんなにも外から隔たれたものなのかと今更ながらに実感を重ねる私で、いや、決してそれが悪いということはないのだが、不変に因をなす不安感のようなものがどうしても湧いて来てしまうのだ。
 仮にそれが唯と二人でいられるという、私としては喜ばしい状況であったとて、おそらくそれだけではきっといけないもので、いや何が悪いのか具体的なところは私にもよく分かっていないのだが。これが年頃故の不安定だとでもいうのだろうか、難儀なものである。
「いわれてみるとそうだねえ。何かまだうちにも帰って来ていないみたいだし、あずにゃんは音楽室だろうから、同じクラスのあの、純ちゃんとどこかに遊びにいってるのかな?」
 直接の面識は薄かったように思うが確かにそうだ。憂ちゃん、梓、純ちゃんの三人は私でいうところの軽音部メンバーのように仲のいいグループなのだろう。三人揃っているところを時々見掛けるもので、だとしたらばそうだ。一緒に遊びにいって帰りが遅くなったとて何ら不思議ではなく、むしろ毎日のように家事をこなしては私たちの世話役を担っている今こそがむしろアブノーマルであるというのだ。
 しかしまあ、そうだよな。そんなものだ。
「そっかあ」
 嘆息と共に漏れたのは果たして不安なのか、あるいは不満なのか。どうにもすっきりしない腹を紛らわせようと私は、クッキーを一つ手に取っては小口よりちびちびと細かく齧り付いていく。
「なになに? 憂がいないと嫌? 私じゃダメかな?」
「ああいや、そんなことじゃなくて」
 唐突にそんなことをいわれたものだからついつい焦って返してしまう。そんな私をさもおかしそうに見遣る唯で、いかにも冗談のような態を装ってはいるがしかし今のは私が不味かった。確かにこんな、唯がいるというのに憂ちゃん憂ちゃんと上の空ではあまり宜しくないだろう。
「澪ちゃんってば作業に入ってからずっと難しそうな顔してるんだもん。ちょっとからかっちゃった」
 カップを片手にそうしては話の流れついでといった具合に自然とこちらへと擦り寄って来る唯で、何ともまあここまで裏が取れてしまってはいよいよ自分の情けなさが際立って来るというやつだ。私はもう少し、万事に対して余裕を持って出来なくてはならない。
 せめてもの贖罪と、私は利き手でしてクッキーを一つ摘んでは彼女の口元へと差し出してやる。許しを得るかのような雰囲気を醸しては見上げて来るその面に頷きを一つ返す私は、それにしてもあざといものだ。むしろこちらこそがその寛恕を賜りたいくらいのものなのだが。
 ともあれゆっくりと口を開ける唯へと静かに差し込む。指の上側、爪の辺りでして唯の上唇に触れては食べていいよ、と合図をしてやって。意図を理解してくれた唯が閉口するのに合わせて指を抜き取る私に、やがて彼女はモグモグと可愛らしく咀嚼を始める。
「うぉいひーね」
「ちゃんと食べてから喋れってば」
 その様子がおかしくてはついつい頬が緩んでしまう。唯はどこまでいっても唯らしく、そしてこんなにもヘタレた私に対してどこまでも優しい。
 やがて嚥下を終えては私の淹れたコーヒーで口の中を改めて。私は頬杖をついてそんな様子を終始眺めていたものだが、ふとこちらに顔を向けた唯と至近で目が交わったかと思いきや、
「ん」
 両手を脚横に添えて重心を支えて、閉眼しては私に対して顎を突き付けるその仕草には他にどんな意味があるというのだろうか。
「ん」
 私は、とても優しい加減で以て唯のおねだりに応える。頬に添える手も、実際に接触をさせる枢要も、共に触れるか触れないか程度の微妙な間合いでして致す。唯がそうじゃないというのであれば話は別だが、私としては今は、こうやって唯のためにしてあげたいのだ。
 触れるというよりは掠らせる程度の交わりも、今日の彼女はこの程度でいいらしい。まさにあっという間に終わりを迎える訳だが――さてどうしてだろうか。それにはむしろ私の方が寂しさを感じるような様であって、丁度唯が正座のような形でいるのも一因であったのだ。迷うことなく行動に移す。
「ふふ、澪ちゃんってば甘えんぼさん」
 何とでもいってくれ。今の私はまさしくその通りであって、どこか得もいわれぬ不安を覚えてはこうやって唯に縋り付くような駄目っぷりなのだ。どうして反対を返せたものだろうか。
「ねえ唯、頭、撫でて」
「……何かほんとに甘えんぼだね。今日の澪ちゃん」
 そうやって彼女の太腿に頭を預けて横になるだけでは飽き足らず、按撫をねだる私はもう、ここまで突き抜けてやってしまえばいっそ気持ちがいいものだ。
 図らずとも、常日頃からキープをしようと躍起になっている体面だとか何かそういう類の積荷は、私にとってはここまで重いものだったのだなあと不覚にも感じる次第にあり、斯くいうそれらも今現在唯の手によって解体作業が行われている最中にあるのだが、ああ、これは思った以上にクセになってしまいそうだ。
 賜るに際し、不味さを微塵も感じることもなく形骸的な懸念だけを浮かべる頭はとうに緩み切っていること間違いがなく、そもそも感じるに至る危機感というやつもとっくに彼女の手の平の上だ。今は、唯がいてくれればいい。唯がいてくれれば、彼女が私のしてほしいことを何でもやってくれる。
 側頭部から耳の周りを柔らかく撫で付けられるその度に、頭髪越しの彼女の指の温度と柔らかさが心地よく、ついついと微睡んでしまいそうになってしまう。私のものはこんなにも具合がよかったのかと、あるいは唯の指がそうであるためだろうか、サラサラと髪束を取っては流す度に上がる音と触感とが私を虜にして止まない。
「はあ……」
 幸感以外のものなど一切含まない溜息を吐いては頭をじりじりと唯のお腹の方に移す。きっとそっち側は今に比べてもっと暖かいこと間違いがなく、私は蜜に誘われる蝶の如くふらふらと誘われてしまうのだ。
「はは、くすぐったいなあ」
 到着しては顔を埋めるように、両手も胸の前で組んではまさに猫のように丸くなる私と来たら。果たしてこういう気持ちは何と表せばいいのだろうか。一切が混ざり合ってしまっては全くよく分からなくなってしまっているものだが、とにかく喜びだとかそのような属性の心象でして背筋が震えていることに関してだけは間違いがない。胸の内だけで処理の追い付かなかったそれら感情たちが体中に伝播をしているような錯覚さえ受ける。
 無意識の内に深く吸って吐いてを行う私が取り込む空気は既に唯の香りで一杯であり、最初こそこの部屋に入っただけでも駄目だったものだから、最近は我ながらそろそろ慣れて来たものだなと自信にならない自信を抱いてはいい気になっていたものだが、全く以てそんなことはなかった。
 私は、何か唯のフェロモンのようなものにやられでもしているのだろうか。こればっかりはもう理性だとか何だとか、そういう上位の思考レベルで処理をすることの出来ないもっと根源的な、衝動のようなところでして掌握をされてしまっている感さえある。ベースとなるべき彼らがぐらぐらとしてしまってはその上に上等な思考を積み上げることなんてそんな、出来やしないのだ。
 私は開き直ることとする。一日の内にこうして出来る時間なんて学校にいって勉強だとかをしているそれに比べると殊の外希少なものであって、だとしたら私が今これを最大限満喫するに際して何ら不味いことなんてない。当の唯が嫌だというならそれはまた別な話なのだろうけれども、そんなことはないよな? そうして目に若干の不安を乗せては見上げる私をどう取ったのだろうか。
「あ、そうだ、せっかくだし」
 私を膝の上に載せたままに身体を捻ってはベッドの方に手を伸ばす唯で、ゴソゴソと、何をしているのだろうかと思っていたら、
「んうっ!」
 顔面に、ふわふわと何処か甘い匂いのするものが落ちて来た。
「ごめんごめん」
 慌てて除ける唯によって視界が取り戻されると、落下させたそれを私の身体に覆い被せている彼女の姿が目に映る。しかしまた、どういうつもりだというのだろうか。
「でも唯。今日は平日だし、明日だって学校があるんだから。私だってそんなゆっくり出来ないよ」
 我ながら何とも情けない掛け合いだとも思うのだが、それが事実なのだからどうしようもない。私を惑わせて止まない匂いがすっかりと染み付いている彼女の毛布にこうやって鼻先までを覆われて、それでいて枕になるのは肉が少々薄めだとはいえ――いやむしろ私はそれこそが好みであるのだが――ともあれ唯の太腿なのだ。上から下までこんな、まともでいられる訳なんてこれっぽっちもないじゃないか。
 そうやって口だけは達者でありつつも、頭の中身はすっかりと蕩け切ってしまっている私は果たして外面にも溢れてしまっていたのかもしれない。髪を手櫛にて優しく梳きながら口を開く唯は、
「そんな可愛い顔してそんなこといってもだーめ。いいじゃん、いき当たりばったりで。澪ちゃんはもう少しそういうところ、適当でいいと思うけどなあ」
「……私まで適当になっちゃうと誰が唯の面倒を見てやるんだよ」
 「違いないや」そうしておかしそうに笑う唯は、私が彼女の言葉に絆されてしまってはもう既にこの場を断る気力がないことを悟っているに違いない。いかにも言葉遊びだけを楽しむかのような態の私たちの内面は今やすっかりとこの状況に落ち着いてしまっており、私にしても唯にしても、これはもうある程度突き抜けてしまわなくてはすっきりしないような段階にまでなってしまっているようだ。
 私は唯の膝枕と毛布とに挟まれて、夢と現の間を取り持つ舟を漕いではいったり来たり。唯も唯で、最近ようやく自覚をするに至った私なのだが、彼女はこうやって普段よりしおらしい私の態度がいたくお気に入りであるらしく、果たして世間的にいうところの普段とのギャップがいいだとかそういう類のところから来る感情なのだろうか。ともあれとても満足気に私をあやすものだから、彼女にとってのそれはきっと悪いことではないのだろう。
 ああ、それにしても本当にいい。ふわふわとどこか甘ったるい中にも、少々の動物的な香りの混じった寝具と唯本人とに囲まれて、あたたかい、やわらかい、いいにおい、と、私は今どれ程に恵まれた環境にあるのだろうか。世界広しと雖もおそらく平沢唯という魅力的な個人をここまで堪能出来る人間は私だけなのであって、ああいや、あるいは憂ちゃんもそうなのかもしれないが、しかしそろそろ彼女にはさせてくれないようなことを唯と一緒にやっているという自覚もある。きっとそうでなくてはならないのだ。
「澪ちゃん、寝ちゃったの?」
「起きてる……」
 そうしていかにも眠そうといった態でして我ながら。唯ではないがこれでは本当に甘えん坊だなとおかしくなってしまう。
「疲れてるんだったらいいんだよ、寝ちゃっても。きっと気持ちがいいよ」
 その、彼女の言葉は今の私には甘美が過ぎる。どうして明日は休日ではないのだろうか。そうであるならば、私は後顧の憂いなく存分にこの太腿へと甘えることも出来るというのに。
 少々をぐずる私であったが、やはり現実というやつはそうそうこちらの都合に合わせて、それだけのためには回ってくれないものだ。流石に断りを入れたとて、週半ばに突然の外泊など両親が心配してしまうこと請け合いだろう。私たちの関係についてあとあとのことまでを考えると、あまり怠惰な私を周囲に知らしめすのは得策ではない。律をはじめとする軽音部の皆にも不審を疑われてしまうことだろう。
 至り、私は折れそうになる気概を先見性の一つで以てして太く結び直しては唯を振り切る。
「もういいの?」
 半身を起こした私に残念そうな面を隠しもせずに告げる彼女を見ているとどこか悪いことをした気にもなるものだが、仕方がないんだ。次の休日にはちゃんとそうするから、今は勘弁をしてほしい。
「ありがと」
 照れ臭い私は素っ気なさを気取ってはそれだけをどうにか返す。対する唯もそこまで汲んでくれているのだろう、微笑み首肯でして返してくれる。さて。
「じゃあ休んだし、続きをやろう。今日はあと、さっきの案を絞るところまでは進めておきたいな」
「うぇっ、ま、まだやるの?」
「当然だ。あとで余裕が出来るようにするためなんだからさ、ほら、キビキビやるぞ」
「ふぇーい……」
 私は毛布を戻したのちにテーブルへと腰を改めてはノートを開き直す。義務的なところから来る感情というものも勿論そうなのだが、何より唯がこうして挙げてくれた案にはどれもこれも純度の高い熱が篭っており、これを明日以降にまで引き延ばしたくないという気持ちも強い。鉄は熱いうちに鍛えよ、だ。方便ではなく、こういうポジティブな気持ちというものも大切にしていかなくてはならないが――まあ、それでも。
「……頑張ったらご褒美にお疲れ様のちゅーくらいはしてやるから」
「ほんとっ!?」
 ぽそりと聞こえるか聞こえないか程度の塩梅で呟いた私なのだが、相変わらず頭の中は春真っ盛りだというのに耳の感度は冴え渡っている唯である。手放しに喜んでは勇んで自らのノートを開くその現金さと不純なやる気にはいっそ尊敬の念さえ湧いて来る程だ。
 ともあれ、ぼちぼち取り掛かるとしよう。初日の今日はおそらく律らのグループも気合を入れて頑張っているはずだ。人数的に不利なこちらは、その不利を取り戻せるように頑張っていかなくては。
「目標は七時前までに終わらせることだな。私が帰る前にある程度形に出来るように頑張ろう」
「了解です、サー!」
 適当な型式の敬礼をそれっぽくやる唯にくすりと一つ笑みを零しながら、さて、本日の仕上げだ。
 両道を気取るつもりであるならばやはり他者に分かる形でそれなりのことをなさなくてはならず、今の私たちにとってのその片面は、しっかりと作曲をこなすというこの一点に集約される。唯にしては大変かもしれないが、他でもない私たちのためなのだ。付き合ってもらわなくてはならない。
「さっき出たアイディアを具体的にしていこう。なあに、コンセプトさえ決めれば今日は終わりさ。あときっと少しだろうから、張り切っていこうな」
「うん、分かった」
 そうして机に取り掛かる私たちだが、そういえば今日はエリザベスもギー太も触ってやることが出来なかったものだなと、ふと、そんなことが頭の片隅を過ぎる。
 どうにも気になってしまっては部屋隅で寒そうに身を添える彼らを見遣り、申し訳ない気持ちを抱きながら。おそらく明日は出番があろうから。今日は何か、ごめんな。
 胸中でぽつりと詫びの文句を念じながら、シミュレーターの電源を落とす。ともあれ今日の私はこちらだ。利き手にペンを取っては対面の唯を相手に、本日の詰めに臨む。


「全く、別にうちにまで付いてこなくてもよかったのにさ」
「だってえ、たまには澪ちゃんの部屋にいってみたかったんだもん」
「私の部屋なんて何も面白いものなんてないってのに」
「そんなことないよ。少なくとも私にとっちゃ魅力的だったなあ。特にあのでっかいヘッドホンとか!」
 701のことを指しているらしい。以前も一度うちに来た時、もの珍しそうに視線を送っているものだから試しに聴かせてあげたのだが、以来すっかりとお気に入りになってしまっているらしく。
「うちでの練習でも使ったらいいのに」
「あくまでアンシミュなんだから、あんないいやつを使うようなこともないって。今のでも十分なくらいだよ」
「そんなもんかなあ」
「そんなもんです」
 どこか納得のいかない様子の唯に私はインスタントを作って差し出してやる。うやむやになってしまいそうなこんな時でもしっかりとお礼をいいながら受け取る、彼女のこういうところは非常に好感が持てるポイントであると思う。善し悪しの切り替えがしっかりとしている人間でなくてはこうはいかない。
 ともあれ週末、今日は金曜日だ。先日は週半ばであったものだから叶わなかったが、本日は唯の部屋に泊まり込みで作業を行う予定でいる私たちであって、一度自分の家に寄ったのも着替えだとか何だとか一泊をするために必要なものを取りにいくためだったのだ。いやまあ、不測の事態に備えて二日分をばしっかりと用意している私なのではあるが。
 ともあれそれはそれだ。普段よりはゆとりがあるために、毎度のように責っ付く必要もない。時間を贅沢に使いながらも優雅に一口を含む私は、自身のシミュレーターから伸びるヘッドホンを手にしてあちこちと角度を変えては落ち着きのない唯の様子を眺めつつ、まあ、分かるさ。どうしてもそういう気持ちになってしまうのは仕方のないものなのだ。
「唯のA-900も練習用に使うには十分過ぎるくらいのもんだよ。モニタっぽいから低中高と満遍ないし、普通にプレイヤーで再生したのを聴くにも綺麗なもんだろ?」
 少なくとも私の耳からすると必要十分、それ以上の機能を兼ね揃えた一品であって、室内練習用兼ピュアオーディオ用としても用いたいという彼女のたっての希望から、コストパフォーマンスに優れた一~ニ万円台の数ある機器の中からお勧めとして提案したものなのだ。
 いやしかし、あの時は本当に大変だった。エフェクターを買いにいくついでにヘッドホンを持っていないからそれもほしいと、それならと軽い気持ちで私がいつも贔屓にしているお店に連れていったのだが、それはもう片っ端から視聴をしてはようやっとこれに落ち着いてくれた唯であって、それも最後まで粘りに粘ってその末にだ。三つくらいまではさっさと篩に掛けたものだったがそこから先を延々と悩んでは二進も三進もいかず、やはり耳のよさにしては常人のそれを遥かに上回る感性を備えているのだろうか。私が及びもつかないようなところで引っ掛かるものがあったのかもしれない。
 ともあれ、この中から澪ちゃんが選んで、といわれるままに本機を選んでは決定に至ったというそんな経緯がある品なのである。直接購入に関したものだから多少の責任も感じる私なのであって、だからといってもまあどうしようもないのだけれども。
「不満はないんだけどねえ。どうしても澪ちゃんのやつに比べるとって思っちゃうんだよなあ」
 そうしてはようやっと手放し、かと思ったらば前のめりに迫って来る唯は爛々と目を輝かせながら、
「ね、今度うちに来る時はあれも持って来て? でさ、二人で交代で付け替えっこしながら色んな曲を聴くの。きっと楽しいだろうなあ」
 いかにも楽しげに語る唯のそんな様子を見ていると、何分あれも私の自慢の子なのだ。褒められて喜ぶことはあれど、悪い気などさらさらするものではない。
「分かったよ。なら来週、しっかりと練習をしてからだぞ?」
「ありがと! んふふー、楽しみだなあ。あのヘッドホンを使ってると、顔の横の辺りからふわって澪ちゃんのいい匂いがして来て好きなんだあ。いつまでも聴きたくなっちゃう」
「ににに、匂いとかそんな」
「はは、澪ちゃん照れてるー」
 当たり前だ、とおそらく赤面しているであろう顔を逸らす私は仕方がない。どこか普段の自分がやっている癖を詳らかにされたかのような気がしてはどうにも具合が悪いものだ。いっそ唯のように明けっ広げに出来ればいいのだろうが、こうして先手を打たれてしまっては今更追随するにも難いような雰囲気で。ああ、私はいつもこうだなあとやり切れぬ想いを抱える羽目となるのである。
「全く、馬鹿なことばっかりいってないで取り掛かるぞ」
「はーい」
 語尾を可愛らしく上げる唯のその様子では果たしてどれ程に反省をしているものだろうか。完膚なきまでにやり込められた私としては、これはもうエリザベスに慰めてもらう他にない。
 照れを誤魔化すかのようにスタンドに立て掛けられた彼女へ、それでも乱暴にならないようにと慎重に手を掛ける。今日はまだ触っていないものだから仕方がないのだが、ひやりとしたネックを手にしては全体を軽く一撫でしてやって。そうそう意味なんてあったものではないと思うがまあ、気分というやつだ。
 ともあれ座りながらとなると互いに女子であるとはいえ、流石に正座や内股でやってもいられないだろう。私が胡座をかいてはどっかりと構えてポジションを落ち着けている内に唯も整えたようで、さて準備は完了である。併せてノートとペンも配しておく。
 手にしたついで、ペラペラとページを捲ってみるが、先日までで基本的な曲の構成は粗方出来上がったものだと思う。
 前回と似たような形になるのであろうか、メモを見たらば『イントロ、サビ、間奏、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、Aメロ、Bメロ、サビ、ギターソロ、Cメロ、サビ、アウトロ』の流れを軸として作っていくことになっており、演奏の難易度も前よりも少し難しい具合に、と漠然とした方針も取り決めたもので、ここに来てようやく楽器で音を探していくような段まで運べたのである。
「ね、ね、澪ちゃん。昨日のうちにちょっとだけサビの進行を思い付いたんだけど聞いてもらっていい?」
「仕事が早いなあ。どれどれ」
 まずは指慣らしと1弦から4弦までを舐めるように弾いていた私であったが、まさか唯の口からそんな提案を頂けるとは思っておらず。ともあれやる気に満ち溢れているようで何よりである。
 彼女の手からヘッドホンを受け取り、何度か試しに音を鳴らしてくれる唯が「どう?」と首を傾げて来るのに頷きと指先で作った丸でして私は応える。認めた唯も一つ頷いては視線を手元に落とし、始める。
 パワーコードでの進行のようだ。8分で三度、出音を短く途切っては裏拍を織り交ぜながら起こして、OK。さてこのあとはどうして転がすのかと思っていたらば、しかしこれは私の予想に反して、というよりもむしろ有限実行というやつなのか。ともあれ唯の指先は一気に加速を遂げるのだ。
 ポジションチェンジ前の尻にはコードでアクセントを加えながら、16分のミュートで矢継ぎ早にA#、G、C。
 直後にコードで一節を溜めてはミュートのD#で16連打。
 次いでは息も吐かせぬ間に同様の進行をもう一度と、いやはやこれはすごい。
 果たしてどんなものかと思っていたがリフとして耐えうる完成度を十分に保持し得る構成は、これが本当に唯の作ったラインなのかと疑いを持ってしまいかねない出来だ。その気などなかったというのに、ついついと頭でリズムを追ってしまう。
 私が気をよくしている風を見てか、何度かループをしてくれているのであろう。同じフレーズを暫く繰り返したのちに音を止める唯に、察した私もヘッドホンを外す。
「どうだったかな。アリっぽい?」
 不安気に訊ねて来る唯ではあるが、確かに改良の余地こそあるものかもしれないがそもそもがダメだなんてそんな、ある訳もない。
「アリもアリ、大アリだよ。いやもう、これだけ出来れば十分いけると思う。私はいいと思うよ」
「へへ、やったね」
 私の賛辞に対し控え目ながらも喜びを噛み締める態の唯に、私の何気ない言葉一つでここまで一喜一憂されるのかと思うとむしろこちらが恐縮をしてしまいそうな程だ。彼女に対する自身の発言の責任というやつを今一度認め直しては、私もうかうかとしていられないことであろう。
 とにかく今のフレーズはノートにメモとしてまとめておく。相変わらずの唯のことであって、きっとこれも頭の中で何とはなしに覚えているだけに違いないのだ。
 この先、種々のフレーズを考えては転がしている内に、今は大丈夫であるとはいえ、こんなにも素晴らしい進行を忘却の彼方へと放り投げてしまうことも大いにあり得る訳で――というよりもまあ、唯ならきっとやりかねないことであろう――それは私たちにとって大きな損失に違いなく、しっかりと繋ぎ止めなくてはならない。私は熱もそのままにペンを走らせる。
「よし……と。それじゃあ私も、せっかくだから唯が作ってくれたサビのところからキーを合わせてベースのラインを考えてみるよ。唯に負けないようにしないとな」
「もお、澪ちゃんったら。じゃあ、うん。私は何かノリがいいから、そのままそのあとの間奏とか考えておくね。飛び飛びで作るよりは、今はこっちの方が上手く出来そう」
「OK。任せるよ」
 事新たな発想を生み出すというその点に関しては唯のポテンシャルは決して低くはない。それは今までの作業における過程と成果がしっかりと裏付けてくれた確かな事実なのであって、その彼女が出来るというのならば私としてはこれを信じるのが最善なのだろうと思う。
 何よりも、なるべくなら自身の成分だけではない、唯の味というやつもしっかりと込められた曲を作っていきたいんだ、私は。共同作業というやつは、こういうところこそが醍醐味だと感じるのである。
 しかし何だろうか、私にしても気分がよくなって来た。エリザベスを握る手にも今一度意気を込め直す。
 私は四肢に無駄な力を入れないように脱力し、右手は全弦をミュートさせながら左手のサムで弦を軽く叩くようにする。そのアタックでリズムを刻み、瞳を閉じながら先程の唯が刻んだビートを思い出す。テンポ、進行、ノリ、彼女がフレーズから表現したかったであろう何か、それら全てに思惟を巡らせるのだ。
 バンドで演奏するような楽曲というやつは、ギターやキーボード、そしてやはりボーカルが目立つものだからどうにも軽視されがちではあるのだが、その実、華となる彼らを美しく彩るにはベースやドラム、俗にいうリズム隊がしっかりとしていなくてはならないものである。
 縁の下の力持ちな私たちは、勿論、目立つ時はうんと目立ってもいい。ただいつもそうではダメだ。コンセプトがそのようなものと据えているのであれば話は別だが、今はそうではない。
 あくまで私はベースらしいベースの仕事を、唯のギター、そして歌声を映えさせるために振るうべきなのである。彼女が刻むであろうリズムが跳ねやすい、着地をしやすいような土台を下からしっかりと固めて、上げる時はうんと上げ、淑やかにするべきところでは雰囲気を壊さぬよう大切に、そうやって空気の読めるラインを作っていきたい。
 そうしてふと至りを感じては、何だ。いうなればそれだけでいいのだ。やっぱり他人がどうとかこうとか、普段から難しく考え過ぎなんだな、私は。
 仕方がないこととはいえ、いい意味でも悪い意味でもいかに唯に翻弄されていたかを自覚しては、しかしそれもここまでだ。原点回帰にて落ち着きを取り戻してはふと気付くと、最初はどうにもノリに不満を持っていたアタックも頭の中に描くリズムにぴったりと合致するビートが刻まれているもので、そうだ、余分を排除した時にこそこうしてしっかりと再現出来るものであって、私はもっとニュートラルな心地で以てこれからの作業に臨むべきなのである。
 ともあれシンプルに反復だ。唯が描いた軌跡を確かめるかのように、私は4弦の4フレットを押弦し、奏でる。ビブラートを効かせた出音のG#は流石にアンプで鳴らした時のように太く艶やかに、とはいかないがやはり生音で鳴らすよりは幾分も具合がいい。
 さあ、今日も頑張ろうと。指板へと目を落としながら試行錯誤を繰り返す唯を対面に置きながら、私は私の仕事を始めんとするのだが、本格的に没入するその前に。
 思い切って演奏姿勢を解き、面を向け見遣った外は既に暮れの段へと至っており、いつもとは違うのだなと思い至る。何せ今日は彼女たちとずっと一緒にいられて、一人じゃない、とても温かい、そういう日になるんだ。嬉しくなって来てしまう。
 重畳的に良感が積み上げられては、気合も十分だ。今度こそ私は作業に取り掛かる。私たちが私たちの立場を主張するため、そのための楽曲を作り上げるに際し、私がこなすべき仕事は多いのだから。


「お姉ちゃん、澪さん、そろそろ晩ご飯が出来ますよ」
 普段の平沢家はどのくらいの時間帯で食事を取っているのか、これに関しては私の及び知るところではないのだが、こうして私が宿泊するという段となると決まって七時を少し過ぎたくらいの頃合いで憂ちゃんは夕食を呼び掛けに来る。
 この習慣をアラームだとかいってしまうと酷いものだが、ともあれ時節を感じるに際して彼女のこの来訪は私たちの活動の内容にすっかりと定着してしまった。私も唯もふと時計を見上げてはああ、こんなにもやっていたのかといった具合に顔を見合わせ楽器を下ろし、わざわざ上がって来てくれた憂ちゃんの平素からの篤実に対して謝辞をして返して、さて。血の巡りの悪くなっている足元に気を付けながらも私は腰を起こす。
「みーおーちゃーん、引っ張ってえ」
 対するアザラシと来たら、まあ延々と楽器を弄っていては決していいとはいえない姿勢で長時間の作業をすることになる訳だから、どうしてもこうなってしまうのである。適度に足を伸ばしたり何だりとすればいいのだが唯のことだ、一度入ってしまえば極端であることは私も憂ちゃんも承知しており、仕方がないなといった態の溜息を零せはせど何だかんだと手を取り、ゆっくりと引っ張り上げてやる。
「おおう……クラクラするよお、ありがとう」
 貧血気味の身体端にも、その内に血が巡っていくことであろう。ある程度の安定を認めた私は結合を解き、先導を努める憂ちゃんのあとに続いて階下へと向かう。
「一週間も終わってお疲れかなと思ったので、シンプルに和食にしました。お口に合えばいいんですが」
 そうやって謙遜をする憂ちゃんであるが、彼女の作る料理が既にそこそこの域を超越してはもはや私をリピータの域にまで昇華させ、虜にしていることに関しては疑いようのない事実である。いつものように奥ゆかしい彼女の言葉と漂って来る芳香とに、ふつふつと食欲が刺激されるかのようだ。流石に唯の家にお泊りをするに際しての、大きな楽しみの一つである。
 下っては早速キッチンの方へと向かう憂ちゃんに続いて、せめて椀出しくらいは手伝おうと追随する私がふと横目に見たテーブルの上には、ほうれん草の胡麻和え、秋刀魚の塩焼きが既に添えられており、ほくほくと美味そうな香りにやられては反射的に唾液が分泌されてしまうのだ。相変わらずの手際には全く頭が上がらない。常々思うものだがいつもいつもこんなによくしてもらって、私もいずれ何か恩返しをしなくてはならないな。
 嫌な顔一つせずに着々と仕事をこなすこの出来過ぎた妹君に、私は何が出来たものだろうかと考えている内にも椀に白米が一つ、二つと盛られていく。私にしても慣れたもので、ボードの上に置かれたそれらを手にしては既にどっかりと席へと座り込み配膳を待つだけに徹する唯の元へと運んでゆき、これまたいつものように少しは憂ちゃんを見習って、と小言を漏らしては唯の苦笑いをお釣りとして頂いて再びキッチンへと戻る。ご飯・ご飯、ご飯・お味噌汁、お味噌汁・お味噌汁。三人分を運び終わる頃には最後にお茶を用意してくれる憂ちゃんの到着を待っていよいよ着席だ。
「皆さんいき渡りましたね、それじゃ、頂きましょう」
「いただきます」
「いただきまーす!」
 逸る気持ちを抑える私に対してしかし唯と来たら待ち切れないといった態を隠しもせず一等元気に取り掛かるもので、もはや平沢家における風物詩のようなものだ。これがなくなっては逆にまたもの足りなさを感じるに違いない。
「ういぃ! お代わり!」
「はいはい」
 仕方がないといった様子で応じる憂ちゃんはいつものことと見越しているのだろう、自身は本格的に取り掛からずに唯のお代わりへと早々に対応する。手間の掛かる子の扱いに慣れた熟練の主婦のそれを感じさせる振る舞いは、決して私には再現出来そうもなく、そもそも唯程ではないが何だかんだとがっついてしまっているのだ。真似をするどころか、むしろ自身が手間の掛かる子二号そのものである。
「はい、お姉ちゃん」
「ありがとう」
 控え目なペースで咀嚼をしてははしたないことのないようにと気を張っている私ではあるのだが、それでも平素よりは箸の進みが早いことには違いない。澪さんはどうだろう、といった調子の視線をふと向けられたことに気付きつつも、見えなかった振りをして私。大丈夫だぞ憂ちゃん、私は分別を持ったいい大人なんだ。だから気にすることなくどうぞ、自分の食事に取り掛かってほしい。
 水面下に張り巡らされた、ささやかな意味合いしか持たぬ自分ルールに意地的な争いを仕掛けながらも、ひとまずの量を詰め込んでは唯の方もお腹が落ち着いて来たらしい。相変わらず気ままなことで、かき込むターンを終えては次なるステージへ。お喋りタイムの始まりだ。
「そういえば憂って、私たちが曲を作ってる時って何してるの?」
 突飛もないことを口走るのはもはや唯の十八番であり、今日この場においてもその技は冴え渡っているものだが、事これに関しては確かにそうだ。私たちが唯の部屋で作業をしているその間、流石に下校時間までぴったりという訳にはいかないが、それでも時間単位でずれ込むということもそうそうない。
 そうやって考えると、おおよそ同じくらいに帰宅をしてはひたすら作業に没頭する私たちだが、今の今までその間の憂ちゃんについては思慮の外となってしまっていた。食事の支度をするにも、いや、ものに因るということは十分に承知しているが、ともあれそれだけでは持て余すこと請け合いであろうと思う。唯のこの質問に関しては確かに私も気にはなるところである。
「んー、特段これっていうことはないけど……」
 目線を他方に飛ばしながら人差し指を口端に添え頭を傾げる、いわゆる考えるポーズというやつをしながら憂ちゃん。幼さと大人っぽい雰囲気が同居しては何とも可愛らしいものだ。
「普通にお勉強をしたり、皆で食べるお菓子を作ったり、家の中のお掃除をしたり、そういう感じかなあ。あ、あとご飯時になったらその準備もあるし」
 彼女の口から発せられる一連の行動と来たら、この不甲斐ない姉とはまるで逆の方向性のものばかりなもので、どうして姉妹だというのにここまで違うのだろうか。
 果たして私のそんな心象は目に現れてしまっていたのかもしれない。
「な、何、澪ちゃん。そのいかにも『唯とはまるっきり違うなあ。妹はこんなにも出来る子だというのにその姉と来たら……』みたいな目! あぁっ! 見ないで! そんな蔑むような目で私を見ないで!」
「お前は何をいっているんだ」
 大概がその通りであるということは多少なりともの自覚は持っているのだろうが、だからこそか、そこがまたおかしくては仕方ない。分かっていてもついついと怠けてしまうのはまさしく唯的であって、それがなくなってはむしろ私たちの方がどこか悪いのかと心配をしてしまいそうですらある。実に慣れたものだ。
「でもぶっちゃけ、ちょっとくらいはそう思ってたでしょ?」
「う、うん結構……」
「ああ、やっぱり!」
 「憂ー、澪ちゃんがいじめるよー」とか妹に泣き付いてはしかし憂ちゃんとしてもどうしようもないことであろう。この面倒くさいやつをどうやって対処したものかと苦笑いでして私を見遣るその視線は、まあこんなにもいい子が面倒くさいだなんてそんな激しい考え方はしないであろうが。ともあれ黙って見てもいられないだろう。
「ほら唯、憂ちゃんが困ってるだろ。そういうのは食べ終わってからにしておけ」
「はーい」
 いずれにせよ振りであったことには違いなく、唯はあっさりと私の言葉を聞き入れては引き下がり、ほうれん草の胡麻和えに取り掛かる。
「でもやっぱり流石だなあ。私も偉そうに何だかんだいってるけど食べて貰ってばっかりで、唯みたいなもんだし。憂ちゃんは本当にすごいや」
「そんな、褒め過ぎですよ」
 顔に手を添えてははんなりと頬笑む彼女を見ていると、それも満更でもなさそうで。こんな私のものでも労いの言葉が確かな意味を持つのかと思うと嬉しくなって来てしまう。
「もー、憂ったらデレデレしちゃってえ。澪ちゃんのこと大好きだもんねえ。でもダメだよ? 澪ちゃんはお姉ちゃんのものなんだからね!」
 誰がお前のものだと一つ突っ込みを入れては、まあ先日からこっち、今までよりも一層の程度で以て憂ちゃんから懐かれているというその点については、流石に自覚をしている次第にある。
 果たしてこんな私のどこがいいのか、そこについては全く及びのつかないところではあるのだが、ともあれ悪感情を向けられている訳でもないのだ。憂ちゃんのような可愛くてしっかりとした子に悪く思われていないというのであれば、いいことこそあれど、ダメなことなど全くないであろう。それ以上を考えてしまうとまた何か深みにハマってしまいそうな気配を感じては、私はその先の思考を引っ込める方針を採ることとする。
「憂ちゃんもありがとうね。唯は口ではこんなだけど、いつもよくしてもらって、私共々感謝してるから」
「ふふ、分かってますよ」
 その包容力、懐の深さたるやこの場で最少年齢であるにも関わらず群を抜いて達観している人格だといっても過言ではないであろう。
 何というか、この年頃、というと私も唯もそれに含まれるものだろうが、この辺りの子らは普通にすると自身が起こした行動、それに因をなす他人の喜びから満足感を得るだとかいったそんなまどろっこしいことよりは、ストレートに自身の欲を満たしたいと考える人々が大半だと思うのだ。
 食べたい、遊びたい、褒められたい。こういう真っ直ぐな衝動は人間というよりも、むしろ生物として極々自然な欲求であると私は思うのであって、逆を唱えるのであれば、齢や経験を重ねては世の中の仕組み、斜めや他点から見た趣というやつを次第に理解してゆき、二次的なところに隠れんぼをしているそんな彼らを一つ一つ見つけていって、その上で楽しみ方を見出していっては、ようやっと価値が分かるようになって来るような、憂ちゃんが達している境地というのはまさにそのような属性のものかと思うのだ。
 加えていうのであれば、そこには時間さえあれば辿り着けるというようなそんな簡単なことは非ず、挫折だとか諦観だとか斯様な苦渋をぞんぶんに味わった上でして踏破出来るような、前途遼遠な道程であると感じる。だってそうだろう? 歳だけを取ったって、いつまでも子供のような大人なんて世の中にはいくらでもいるのだから。彼らはそれこそ、先の私曰く、欲望に忠実でひたすら自身のしたいことをする心のままに育ってしまった、身体だけは大人といった態の人種なのだろう。
 ――ともあれ、私としてはやはり心配になる程だ。一般的な観点からすると先に憂ちゃんが列挙した項目は、勉強はともかくとしても通常は両親がやってくれたりなんだりと、私たちの年頃からすればそれが当たり前になっている事柄が多いと感じる。少なくとも家の掃除だとか料理だとか、たまには有れど、そうそう頻度高めにだなんて私はやったことがない。単に私が怠け者なだけなのかもしれないが、まあ少なくとも知っている限りでは律もそうであろうし、私たちのように学生をしている内はそんなものなのだろうと思う。あくまでも手伝い、ままごとの域を出ない。
 その点からすると明らかにお遊びの域を超越しては紛うことなく家事のレベルにまで昇華している憂ちゃんの仕事は、見た目には平静を装っているものだが、その内には何かしらのストレスを溜め込んでいるのではないかと思えて仕方がないのだ。
 唯共々に彼女は私にとって大切な存在である訳だし、お互いにとってのそういう不利益というやつは相互に解消していけたら、だなんて、いかにも偽善的だろうか。
「何か手伝えることがあったら、年上だとか気にしないで気軽に声を掛けてな。そうやって頼ってもらえたら私も唯も嬉しいよ」
「えー。でも私お手伝いとかそんな、ダラダラしてる方が」
「嬉しいよ、な?」
「は、はいそうです澪ちゃんの仰る通りです……」
「お姉ちゃんったら」
 そうして莞爾として微笑む憂ちゃんの様子を眺めて、今の私たちの器量ではこうやっておかしな一幕を打っては彼女の気を紛らわせることが関の山なのだろう。いずれは私ももう少し出来るようになって、一緒に台所に立てたりとは思ったりするものだが。
「あ、でもそうだよ。今日はこのあとも作曲するんだよね?」
「ああ。そのつもりだけど?」
 何かいいことを閃いたといった体の唯は箸を休めては人差し指をくるくるとやって私たちを見遣り。そうしてから、ああ、やっぱり姉妹なんだなあ。私が思わずそう含まずにはいられないような、憂ちゃんと瓜二つの笑顔を一つ浮かべては宣言をする。
「私たちの部屋で作ってるところを見てもらおうよ。何かそういうのって今までありそうでなかったよね? 私たちもいつもと違って刺激的だろうし、こういうことをやってるんだぞー! って見てほしいんだ。そうしたら憂もきっと寂しくないよ」
 いわれてみて確かに、作業の合間にお茶やお菓子を運んでもらうことはあれど、私たちがまさに取り組んでいるその瞬間の姿勢というやつは今の今まで彼女に披露したことはなかったように思う。何ともまあ、どうして今まで失念していたのだろうと、気の利かない自分が不甲斐ないものだ。よっぽど唯の方が出来ているじゃないか。
「でもそういうのって、結構繊細なことなんじゃないですか? 澪さんとかお姉ちゃんのお邪魔になっちゃったら私も本意じゃないですし」
 そうして返す憂ちゃんの言葉を聞いていると、ああ、やっぱりそうだ。彼女は見たい、見たくない、仮にその二極的なところから選択するのであればどちらかというと見てみたい側の方に心が寄っており、しかしそれを躊躇う要因として私たちの効率を落としたくない、邪魔にならないように控えておこうとした慮りが働いては遠慮をしている次第にあるのだろう。
 実に奥ゆかしく憂ちゃんらしい判断であるとは思うのだが、この場合においては上手くないだろう。誤解は解消しておかなくてはいけない。
「確かに知らない人に見られてるっていうならちょっと、って感じはするけど憂ちゃんなら大丈夫。そもそも唯なんてどこで誰に見られていても気にしないような感じがするし、そういうところを気にして遠慮してたっていうなら是非とも見てほしいな。何も問題ないよ」
「でも……」
 社交辞令のように取られているのだろうか。それでもまだ踏ん切りが付かない様子で引っ込み勝ちな態度を見せる彼女に、ここまで来てはむしろ私が見てほしいといったくらいの勢いであるのだが、さてどうしたものかと思っていると、
「遠慮しないで乗っちゃいなよ。確かに澪ちゃんって知らない人の前じゃものすごい恥ずかしがり屋なんだけど、憂の前だときっと大丈夫だよ。私が保証する」
 横から、普段の適当振りからは想像出来ない程の説得力と自信で以てして唱える唯はしかし有り難い。こういうところは流石にお姉ちゃんなのだなあと見直したものである。
「その通りだけどまあ、唯に保証されてもなあ」
「ひゃあ、憂ったら今の聞いた? この流れは! って、自分でもせっかくいいことをいったと思ったのに、最近の澪ちゃんのドSっぷりったらないね! 私もりっちゃんみたいに叱られたり殴られたりしたら、気持ちよくなるように練習をしなくちゃいけないのかな」
「何か諸々に誤解があるような気がするけどああもう、一々全部に突っ込むのも面倒くさくなって来たから、とりあえず私がSだとか何だとかそこについてだけは否定させてくれ。律に関してはどうでもいいや」
「うん、まあ、りっちゃんだしね」
「律だしな」
「お二人ったら」
 うっかり律さんですしね、とか追従してくれるものかと期待していたが、箸を置いて口元を抑えては上品に破顔する憂ちゃんはあくまでも奥ゆかしいいつもの憂ちゃんであって、それでも何だろうか、自分でも思っていた以上にそのような彼女に期待していたのだろうか。多分に残念を覚えては止まないもので、まあ、これに関しては追々とそうなっていくように乗せていけばいいだろう。
「分かりました。何かもう、すごい楽しそうなんですから。せっかくのお誘いですし私もあとからお邪魔させてもらいます。お菓子と、作業中はコーヒーの方がいいんでしたっけ? 一緒に準備して持っていきますね」
「ありがとう。私も嬉しいよ」
 ともあれ良い方向にまとまったようで一段落だ。うっかりと話す方に夢中になってしまっていたせいか、思い出すかのように味噌汁へと口を付ける私なのだが、やはり改めて美味いと感じる。
 何というか、私にも唯にもそれぞれに個性というやつがあって、そしてそれは軽音部のメンバー各員にしてもそうだ。内側にいてはどうにも気付きにくいものだが、強過ぎるキャラクターが揃っている彼の集いに身を浸していては他の大概が平々凡々としたものに見えてしまって、どうにも私は見えて然るべきものを見落としていたらしい。
 憂ちゃんは、唯の妹、料理が上手、家事全般が得意、文武両道。これだけでも個性としては大概なものだが、どうにもこの認識自体がそうであって当然、それ以外の何ものでもない、といった態の段階へと進んでしまっているような気がする。
 こういう事象は何というのだっけか、確か思考停止だとかそういう類の言葉で表現出来た気がするのだけれども、ともあれ今の私にぴったりな言葉の構えであることだろう。改善は勿論のこと、より一層彼女のことを理解するためにも私はこの概念を破っていかなくてはならない。
 ともあれ、決まりだ。食卓上の話題も今後の作業の方針やら今までの作成過程でどうにも気になっている点を挙げたりと、本日の残務処理にて片付けるべき内容についての次第がメインとなっている。寝るまでに終えられるような、あまり時間の掛かり過ぎない材料を選択することとしては憂ちゃんが食後に出してくれたお茶を堪能して、いよいよ楽しき晩餐も終了だ。
 果たして今日はどこまで出来るものだろうか。憂ちゃんの存在に浮かれ過ぎないようにと気を締めながら私は席を立ち、後片付けをしたのちに追い掛けるという旨を寄越す相変わらずの彼女に甘えさせてもらう。
 いつもながら申し訳ないものだが、事こういう点に関しての憂ちゃんは思いの外頑固であって、素直に従っては有難く受けることが互いにとって一番よいということをここ最近で学んだ私である。礼だけを残しては唯と共に階上へと向かうこととする。
 ダイニングとは違ってひんやりとした空気が張るような感覚のする廊下を、泳ぐようにかき分けては辿り着いた彼女の部屋前にて、唯は廊下の照明を落とすのと引き換えに、徐に室内のそれを灯す。
 明暗の感覚を寸時失った私の眼前には、しかしそれもあっという間のことだ。光の強みと質とに瞳孔が順応して来ては、見慣れた、先程私たちが作業をして呼び出された時そのままの部屋が浮かび上がって来る。
 当たり前のことなのだろうが、出た時と何ら変わらぬ光景を見ては、まるでこの空間だけが外側から切り取られて時間が止まっていたかのような、そんな心象さえ浮かび、こんな感覚ももはや何度目なのだろうか。我ながら空想癖が過ぎる気もするものだが。
 ともあれそれはそれだ。入室しては作業に取り掛かる準備をしようとしていたものだが、さて、スイッチに手を掛けたままに一向に足を前に進めようとしない唯であって、どうしたものかと私が不審に思っていたらば顔を前方に向けたそのままにふと、ぽつりと呟く。
「なんか、」
 面の見えない彼女は果たして、何を思ってこの一幕を起こしたのだろうか。決して遊びやおふざけではなさそうな気を汲んではどうにか察してやりたいものだったが、ああ、あくまで私たちは他人であるのだなあと、それを完璧になすことの出来ない自分をまた冷静に見つめる自身がいて。
「私たち、みたいだね」
 それでも、その一言についてだけはどうしてか共感の出来る部分があったのだ。
 変わらず表情の見えない唯ではあるが、ひょっとしてそれは、今の私と同じような形を造っていたのかもしれない。



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